LINEスタンプ 宛メとは?
カテゴリ
名前のない小瓶 さんの小瓶箱
名前のない小瓶
固定された小瓶
小瓶箱トップ
名前のない小瓶
仏教では、苦しみの原因はなぜ生きるのかを知らず、
相対の幸せばかりを求めるからだとしています。
相対の幸せとは、孤独感や認められたい欲求などを
満たすために手に入れる物事であり、手に入った時は
嬉しいが、すぐに次が欲しくなり、死んだらなくなる
性質のものです。必ず終わりが来る幸せです。

無意識のうちに終わりが来る幸せしかないと
気付かれているのではないでしょうか。

もちろんそういう幸せであると知っていれば、
ほどほどに楽しむこともできるのですが、
それしかないと思っていれば、手に入らない
(かもしれない)ことが耐えがたい苦しみになる
かと思います。

仏教では絶対の幸せがあり、それを知ることが
生きる目的だとしています。
阿弥陀仏が全ての命を救うという誓いがあり、
それを信じることが絶対の幸せに救いとられる
方法だとしているのですが、私はまだ勉強中です。

私の個人的な感覚としては、私は寿命を持った
私であると同時に、全宇宙そのものです。
大海の一滴のように地球は宇宙の一滴である、
想像もつかないほど大きな存在と私は同一である
ということが、死んでも変わらない真理なのかな
と思っています。

参考までに。
・・・小瓶を見る
名前のない小瓶
生きていたくない気持ち、私もたまに

襲ってきます。虚しいんですよね。例え

世界中の役に立つことをしたって、人気者に

なったって、絶対はないですから。いつ

死んでも、悲しむ人はいるかもしれませんが、

いずれ死ぬんだって感じですよね。

多分、しなければならないって、本当はこう

したいんだけどっていう続きがあるような

気がします。

過去にこれがしたいってことを禁じられて、

いつの間にか、しなければならないに変換

されたんだと思います。

じゃあ、こうしたいを叶えたら解決するのか

というとそうでもないですよね。〜したいは

キリがないので。

仏教ではこれを煩悩と呼びます。煩悩は一生

なくならない。煩悩だらけの自分に気付いた時、

それに気付かせてくれた力は何なのか、これを

弥陀の本願力、自力では到底及ばない、他力と

呼びます。煩悩という暗雲を常に照らしている

太陽のような本願力を頼もしく感じながら生きる。

これが、なぜ生きているのか、死んだらどう

なるのか分からない暗い心、無明の闇を照らす

光であると教えています。他力に救われている

この身ならば、死んでもよし、生きてもよし、

物事が上手く行っても行かなくてもどちらでも

よし、絶対の幸福になれると教えています。

しなければならない、こうしたい、生きたく

ない、思いがあるままで、寧ろそれしかない

自分を見せてくれている救いの手に感謝する

ことができる幸せもあるかもしれません。

長文失礼しました。
・・・小瓶を見る
次の20件を見る
1 3 4 5 6 7 18

広告

お知らせ
過去のお知らせ
宛メサポーター募集 宛メで音楽 宛メコラム 宛メのアドバイザー石渡ゆきこ弁護士 宛メのアドバイザーいのうえちかこ(心理士・カウンセラー) 悩み相談ができる相談所を集めたサイト 宛メ本 小瓶に手紙を入れて流す
宛メについて
宛メのこころえ(利用者さんの言葉) お返事のこころえ(利用者さんの言葉) 宛メに参加している人たち(利用者さんの言葉) 宛メとの出会い(利用者さんの言葉) 初めての方 Q&Aヘルプ 宛メ、サポーター募集! 運営委員のご紹介 運営委員ブログ 特定商取引法に基づく表示 お問い合わせ 運営会社
twitter & facebook & instagram
フォローやいいね!すると宛メの情報が届きます。
緊急のお知らせなどもこちらから配信しますので、ぜひ登録をお願いします。
Follow Me