大丈夫。緊張は味方。
私は一人じゃない。
歌の本番前気合を入れて自分に送った言葉。
頑張った後の一口目のビールは美味しかった。
お酒はほとんど飲めないけれど。一口目は別腹。
数日後の今、ちょっとした燃え尽きを味わって
いる。行き先を見失い彷徨う感覚。心許ない。
不安な。周りは何も変わらない。日常は淡々と
過ぎていく。自分だけが取り残されていくような。
漠然とした。恐怖とも焦りとも言えるような。
評価に怯えながら生きている。人前に出るという
のはその恐怖を全面に受けるということ、怖くて
たまらないし、凄い負担だ。いちいちこんなに
疲労していたら命がもたない。生きていける気が
しない。その恐怖感なのか。どうしたらいい?
今回緊張は完全な悪ではないと理屈でも知り、
体感もした。その感覚に似ているかもしれない。
今の私にとってはとても重要なこと。この恐怖感は
悪ではないということ。マイナスの評価を受ける
という恐怖は耐え難いもの。でもそれがあるから
闘える。やる気になる。いいパフォーマンスにも
繋がる。味方につければ。純粋にプラスの評価を
狙うことが怖くてできない。サッカーのゴールで
言えばバーに当ててどよめきを起こすようなこと
をやっている。怖くて仕方がない。単なる練習不足
かもしれない。全部言い訳。逃げるための。一方で
断ること、逃げることをやってみるという経験も
必要なのではないだろうか。どっちが正義で悪と
いうのは大体間違っていると思う。もちろん世間
一般では正義というものが賞賛を浴びるし多くは
憧れるのだろうけど。悪は嫌悪されるのだろうけど。
全員がそうというわけでもない。
休みたいのか。自分の気持ちがわからない。何で
素直に言わないんだろう。多分だけど休みたいん
だと思うよ。一日寝込みたいくらい。子供や仕事を
持っていたらそんな風にはできないよね。みんな
それを我慢して生きている。大人だから。何かが
引っかかる。仏教では我慢は比較、執着の心の一つ。
自分を高く見て周りを軽視すること。これだけ我慢
してあげているんだから。最近感じているのはこの
思考停止だ。何が停止しているのか。
追われている感じが少しだけする。本当に今
やりたいことなんだろうか。それが分からない
から流されている。心がざわつく。図星のよう
だ。何で分からないんだろう。どうやったら
分かるようになる?逆にやりたいことじゃない
とやったらいけないの?一秒もやりたくないこと
はやってはいけないの?もしかたらやりたいこと
という概念に振り回されているのかもしれない。
何となくやろうと思ったこと、ルーティンに
なっていること、やりたくないことをやって
何がいけないのだろうか。何も悪くない。それ
こそ思考停止だ。思い込みは恐ろしい。
やりたくないことをやってもいいし、何も考えず
に流れでやっていることをやって落ち着くのも
いいし、突拍子もないことをやるのもいいし、
何もしなくてもいいし、やるべきことをやって
もいい。初めからそう。というよりやるべきこと
から逃げ回っているだけだけどさ。さあ今日も
生きるか。もう生きてるけど。