やっぱりさ、どんどん枯れて最後は
死んでいく、こんなこと言ってると
誰も寄り付かないけど。ハッピーに
なりたいと思うのが当たり前だけど
漠然とした死に対する不安とハッピー
の間で揺れて生きて行くのは結構しん
どいような気がする。一般的に言われて
いることって確かにそうなんだけど自分
に合わせてアレンジしないと使えない。
言い訳みたいなのを最初に通過しないと
いけない。でもさ〜を言い切るとパッと
切り替わる瞬間のようなものが訪れる。
自分が大嫌いな時、他人も大嫌いになる。
人を好きになるためには自分を好きになる。
自分の居場所を見つける。自分を裁くのを
やめる。自分の意向を汲み取る。そんな
ことを考えても意味がないと裁かれると
傷付く。考えた内容ではなくてなぜ考える
のかを大切にしたい。私は裁くということ
を無意識のうちにやっている。というより
それが当たり前だと思っている方が楽に
生きられるんだろう。自分の価値観に
必然性を感じない状態は苦しい。人生
は価値観という色を着けないと何とも
味気ない。ゲシュタルト崩壊のように
考え過ぎて分からなくなってしまった。
人を好きになるために今たくさん作戦を
考えている。考え過ぎだよね。自分を
わざわざ人生のどん底に追い込もうと
しているみたいだ。どうやったら自分を
好きになれそう?歌を自由な表現で誰かに
届けたい。年始の旅行の計画をしっかり
立てたい。ハーブの知識を文章や絵などで
多くの人に広めたい。ゲストハウスなどを
通じて素敵な人達と出会いたい。初めから
全ては等価。無償の愛であり慈悲であり
空である。同時に人生は陰陽二元でもある。
つまり条件付きの愛、比較の幸せ。だから
自分は初めから愛され慈しまれているのと
同時に、他の誰でもない自分の意志決定を
大切にされることで幸せになる。今までは
前者だけだと考えていたのでずっともやもや
したままだった。比較して判断するという
ことは決して悪事ではない。ただしそれは
自分を始め、生きとし生けるものを大切に
するという幸せになるための比較でなければ
ならない。