何も言うことはない。私は幸せ。好きな
仕事と趣味と大切な一人時間を過ごせて。
それなのに疲れて笑顔でいられなかったり、
逃げたくなるのはなぜなのだろう。感謝
不足か甘えか。責めることはいくらでも
できる。それよりは次なる一手を打つべき
ではないだろうか。それとも待つ時期なのか。
矛盾。葛藤。人生は苦の連続である。こんな
人生生きていて何の意味があるのだろう。
もちろん意味などない。人間が誕生する前から
生命は存在したのだから人間が作り出した
「意味」などあるはずがない。楽しんで
生きる。これに尽きるのだと思う。人間は
楽しむとは発見すること。空と色で見る世界。
空という時間も空間も意味も存在しない本体が
あって、色という実体のない仮の現実がある。
大多数の人は一般常識や本能を主な基準として
あらゆる選択をする。少数の人はインスピレー
ションを基準として選択をする。後者は一体
何であろうか。散歩やジョギングをしていると
アイデアが浮かびやすい。サウナと水風呂を
往来したり旅先などで自然と対面した時も。
寝起きも。意識レベルが少し落ちている時だ。
自分と向き合う時間というのはどういうこと
なのだろう。自分の思考や感情を煮詰めている
ような。これではインスピレーションは降りて
こない。これまでは議題について綿密に作戦を
練るという作業をしてきた。時間の無駄なのか。
ネガティブな感情に引っ張られることがある。
愚痴が立て続けに出て来るような時は感情に
流されている時。私の中には愛情に飢えた子供
がいる。何で与えてくれないの。恨み怒り狂う
自分がいる。愛して欲しくて堪らないのに愛情
が手に入らない憎しみ。他人を愛することを
拒否する理由。私を見て。他人に向けるのは
絶対に許さない。あなたのことを愛している。
大事に思っている。と何度伝えても未だに受け
取ってくれない。日記を書くと安心するのか
どんどん眠くなってくる。きっとそういうこと
なんだろう。気持ちを理解して欲しいだけなん
だろう。答えなどどうでも良いのだろう。私が
小さい私を言い聞かせるために書いた答えなど
ただの一つも響いていない。思考とは裏腹に
私は受け取りたくて仕方がない。眠気まなこの
状態や大自然の中に一人でいる時というのは
半ばトランス状態になるので受け取りやすい。
無意識のうちにそういう環境に身を置きたがっ
ているのは感じる。歌もその一つ。私にとって
大切なツールの一つだったのだ。歌は本当に
私に色々なことを教えてくれる。今朝も眼球
以外で世界を見る方法を理解させてくれた。
眉間の辺りで見るというのは本当だったのだ。
では漢方は私にとって何だったのだろう。
感性の存在を教えてくれた彼に出逢うため
だったのだろうか。当初私が考えていたスキル
を磨いて職業にするというのとは少し違うようだ。
最低な自分。今私の中にいる。今までだったら
完全に無視するか暴力を振るっていたがなぜか
共存できている。やっとそれが自分だと認め
られるようになった。嫌悪感はある。くすんだ
世界で生きているような絶望と相まった感覚。
苛立ちもある。気分は最悪だ。でも追い出そう
とは思わない。いい人を演じて苦しかった自分
と腐った自分。酷い組み合わせだ。まだかなり
分離していて折り合うには時間がかかりそう。
やっとここまで来たんだからもう少しだけ頑張る。
底まで落ちたら後は上がるだけだよね。調子が
良くない時体がビクつくこともある。優等生と
不良が同じ空間にいるのは居心地が悪いだろう。
側からは見えないけど闘っている。そして疲れる。
愚痴は言いたくないけど言いまくる自分も自分だ。
仲良くなどならなくていい。喧嘩することなく
一緒にいてくれるだけで十分。自分がこの世で
一番恐ろしい存在だったとようやく気付いた。
闇の中に光が、迷いの中に答えが、下手の中に
上手が、冷たさの中に温かさが、不安の中に
安心が、不自由の中に自由が、死の中に生が、
浮かび上がってくる。そして全てを愛と名付けた。