心が震えている。安全地帯のunplugged live
を見て何かが揺り動かされた。感動とも少し
違うような。自分の見ているものは形は人間
だったり意味のある言葉だったり声だったり
するのだけど、そうではないものを受け取って
いるような。野村訓市さんのラジオのタイトル、
traveling without movingの領域。旅をすると
心が洗われるのは嫌というほど自分に貼り付けた
価値観のシールが剥がれて行くから。実在しない
過去や未来に対する不安、自分は何者であるか
という決め付け、そういう「色」から自由になる。
自分を知る人間が一人もいない、人間が生まれる
前の、一切区別がない全て、宇宙と共にある感覚。
そのエネルギーが爆発する。何でもない全て。
愛とはなんだろうか。与えるもの。感謝。周りに
人が集まってくる。そういうイメージがある。
意味を外した「空」のように全てを包含している。
色という概念があって初めて空が成立するように、
理想と現実の間で葛藤する苦しみがあるからその
反対側の全てをありのまま許す愛が成立する。
ただ色も空も、苦しみも愛も、過去も未来も
「色」である。苦しみの反対側という色を付けた
愛と、色のない全てを含んだ愛と。どちらなの
だろう。前者は条件付きの愛に似ているような
気もする。ただ温かいニュアンスがあるのは
それである。認識できる愛と全てという愛が
あるのかもしれない。認識できる愛、温かみの
ある愛は氷山の一角。実際はその規模を遥かに
超える人智では計り知れない愛がある。私たち
は認識できる領域で悩み苦しみ、自分で創り
上げた愛のようなものを求めている。求める
までもなく私たちの実体は愛、全て、空である。