考えることというのは同じ道を何度も迷い
続けるのに似ている。螺旋を描くことが
あって、上向きの時は喜びを感じ、下向き
の時は悲しみの底に沈む。どちらにせよ、
その螺旋は夢であって、目が覚めると元の
場所のまま何も変わっていないことに落胆
する。エネルギーとは何か。問いの爆発。
この得体の知れない感情は何なのか。
ショックとも歓喜とも呼べるような。
ショックや歓喜にストーリーをつけようと
する行為は何か。順序は果たして存在する
のだろうか。夢はストーリーがあるように
記憶している。実際見ているのは一瞬のはず。
ということは、一瞬に存在する全ての絵を
並び替えているのがこの現実なのか。
例えば全通りの人生のシーンがあったとする。
それを選ぶ、というのはつまり今いる次元で
認識できるのは一通りの人生だけであり、
過去から未来へと順番に一枚ずつしか見られ
ないということ。そして、別の次元では同時に
無限に存在する人生を見ることができる。
過去も未来も同時にある。夢のように。
ではこの世界に選ばれた一通りの人生とは一体
何なのか。ランダム?こんなにリアルなのに、
一瞬の夢だなんて。しかも適当に選ばれている。
意味が分からない。波動?波動が上がることに
よってラジオの周波数が変わるみたいに、見える
景色が変わる。自由とは何だろうか。私は何を
選んでいるんだろうか。波動そのものであると
いう元意識に、宇宙に辿り着く。全てが今ここに
ある。宇宙に委ねるとは、そもそも私が宇宙
そのものであることを思い出すこと。波動の
流れを感じる。頭に浮かぶビジョンや音。意識を
上げること、つまり波動を上げることで見える
景色が変わるというのは本当なんだろう。問いは
何だったか。エネルギーはどこから来るか。逆に
エネルギーはなぜ枯渇するのか。それはやはり、
宇宙そのものであるという真実が忘れ去られて
いるためなのだろう。身体が老いていく事実は
どう説明されるのか。波動が高ければ、老いない
誰かが出て来てもおかしくないはずである。
死者の記憶は若いままである。当たり前だが
老いない。美しい記憶のまま別れた最愛の人。
これも永遠だ。つまり人は老いるしいずれ死ぬ。
いい思い出だけを残して会わないというのは、
ある人にとっては老いないと言えるし、昔の
写真や映像だけを見ようとするなら、これも
そう言えるのではないだろうか。事実は一つ
だが、真実は無限にある。波動が上がるとは
意識が上がることであり、無限に存在する
真実から選りすぐりの人生をこの世界に浮かび
上がらせることができる。自分で選んでいるよう
でもあり、宇宙が選んでいるようでもある。
同じことである。そして、エネルギーとは宇宙
すなわち、私である。