改めて考えてみよう。真剣に自分と向き合い
たい。最近一周回って他人にどう思われるか
を気にするのももう飽きてきた。鬱ももう
なり飽きたというか、何回繰り返したら気が
済むのか。つまり波がある。生理前後は特に
特大の鬱が来る確率が高い。振り回されて
ボロボロになる。巨大な台風や地震が来て
街が壊滅的になり一から再生していく。完全
に復興した頃にまた破壊が起こる。それと
同じだ。強くなるわけじゃない。生きていく
ために復活するしか方法がない。あとは祈る
しかない。そういえば感謝が減ったなとか、
人の目を見なくなったなとか。そういうこと
とリンクしている。今は壊滅した街の瓦礫を
片付けて、雑草が生えて来て、何となくまだ
警戒した心で一息ついている所。
せっかく与える方向に行っていたのに、気付い
たら奪う方向に変わっていてなかなか戻れない
絶望感。普段なら何でもない一言が敏感期に
聞くと心に突き刺さって涙が止まらなくなる。
いわゆるトラウマのように過去に傷付いた経験
が一気に蘇ってきて過呼吸になり喉が詰まって
声が出せなくなる。これはもう上手く付き合って
いくしかない。心に作用する薬は飲まない。
たとえ漢方薬でも。ハーブや歌は使う。出来る
だけ自然な身体の反応を捻じ曲げたくない。
症状はあくまでもサインだから。でも自覚は
しないといけない。私の心は弱い。だから鈍感に
なる必要もあるし、笑顔も感謝も好きなことも
尊敬する人も必要。そうじゃない人とは別世界
で生きる工夫も必要。仕方ないこともあるけど
ずっとではない。自分の周波数を知ってそれを
維持すること。生きる目的は何か。今生きている
こと。鬱になるのはなぜ。繊細さが裏目に出て
心の世界を自己破壊してしまったから。繊細さは
諸刃の剣。蛇遣いと同じで鈍感力という解毒薬を
所持していないと噛まれた時に蛇の毒で死んで
しまう。子供の頃はバランスがとれていたけど
大人になる過程で解毒薬をなくしてしまった。
常識の森に心を奪われている間に。さて他人の
鬱を見るのが嫌なのは自分を見ているようで
耐えられないのだろう。鬱に関して助けられた
ことがないし何を言われても結局自分で自分の
心の鍵を見つけない限り変わらないから。休む
環境をあるいは環境を新しくする方法を考える
しかない。気休めは結局先延ばしになるだけ。
もがくしかない。周りに迷惑はかけたくない。
死にそうになりながら一方で死んでたまるか
とも思いながらもがき続ける。