小瓶主さんからのお返事
ありがとうございます、ななしさん。
(以後、おそらく独り言になるかと思われます)
何故、関わりにいきたくないのか……か。
関わりに行く際の、何か行動を起こす時の、1歩のエネルギーがまずとても大きいと感じる?
たとえば、外で人に会おうと思ったら外出する準備(身だしなみ等)が必要だとか。インターネットの、このような場であれば文字を打ち込む必要があって……
それプラスやはり気遣いというか。
キャッチボールであるならば、ひとりの場合どこに飛ばしても気楽……というのは考えが浅はかであるなと書いてて思ったのでこれは若干の修正が要るかもしれん。長くなるからどうしたものか。
というかこの場だとキャッチボールは難しいので(己や相手がボールを保持する時間が長い。返ってくるかわからない)、投げっぱなしの意識が強くなってしまうな。
投げっぱなしであろうと何であろうと、相手のいる位置を予測し、変なところに投げて相手がボールを取りに走らなければならないような、無駄に疲れさせてしまうような投球にはならないよう努力、配慮といった思いやりがなければ「こいつとのキャッチボールは疲れるからやめとこ」という結果になりかねない?
といったところで、私が今投げているこのボール。
「こんなものを毎回投げられていてはかなわん」と、匙を投げられても致し方無し。互いに放棄し解散か。
……いや、私が先にやめてしまうことのほうが多いか。
どういうボールを投げたらいいのか……そこを考えるのが疲れてしまうのだ。
このボールは良かった。このボールは良くなかった。キャッチボールが終わったあとでそのように考えてしまう脳も厄介なのだ。
『何故?』が、自分自身もあまり理解できていないため、とりあえず現在書けることを書いてみた。
【自分】をオープンか……。【自分】ってなんだろうなあ。それも課題だなあ。
(会話ver.?)
(ななしさん、ありがとうございます!
たしかに!キャッチボールの例え、ありますね。いま想像してみたけど本当にそんな感じなのかも。
なんで関わりにいきたくないのか。かぁ……
ななしさんがあげてくれているように、相手との距離感とか相手の反応とか、そういうのを気にして億劫になっているのかもしれません。
チャレンジすることがチャレンジ!なんてね。
頑張ってみることができたらいいなあ。
苦手ながらも少しずつ掴めていってるななしさんの経験(知識?)参考になります!努力の共有などと表現してもいいかもしれませんね。そういうの、力になるなあって思います。
何よりきっと、ななしさん自身の力になっているのだろうなと思うと、とっても嬉しいし喜ばしい気持ちになりますね!本当にありがとう!
人との繋がりってやっぱり素敵なものですね。幸せな時間でした。
それではまた!)