今日は誕生日。
いつもと変わらない日常をひとりで送ってる。
鬱なので、重い気分がデフォルトだから、これで普通。
兄1と仲良しの親戚2人と元職場の仲間の4人からおめでとうのMessageをもらった。
胸の奥がポッと温かくなった。
それでも誕生日の度に思い出しちゃうんだ。
父が亡くなった年の誕生日、当時の彼氏に言われたひとこと。
「誕生日だけど、何もいらねーだろ?別に欲しいもん無いよな」と。
その言葉通り、プレゼントは無くおめでとうの言葉もなかった。
普段は勝ち気で言い返す私だったけれど、この時は「・・・うん」としか言えなかった。
欲しいものはたしかに無かった。
というか、いつだって私のほうから何かモノを要求したことはなくて。
だけど、そうじゃなくて。
言いたい言葉が即座に思い浮かばなかったんだ。
だから「・・・うん」と。
深い寂しさだけが胸に残った。
今でもあの時のことを思い出すと、すーっと寂しくなる。
ひとりで迎える誕生日の寂しさは「こんなものよね」と流せるけれど、
親密な誰かがいるのに感じる寂しさはどうしようもなく深いものがある。
その1年後に別れたのは、小さな心のすれ違いが無視できなかったから。
人との距離は遠いほうが良いのかもしれないな。
「有難い」とは「有り」「難し」からできている言葉。
当たり前ではないからこそ「有難い」という意味。
とうていお祝いなど期待していなかった相手から「おめでとう」と言ってもらえることが、その言葉を贈ろうと思ってくれた相手の気持が何より尊く有難いのだ。
親密な相手には期待してしまう。
だから、期待が潰えた時に失望してしまう。
こちらの勝手な期待は叶わなくて当たり前。
私が優しくなかったから、当たり前に受け取ってきた優しさが与えられなくなっただけのこと。
それでも。
今でも思ってしまうんだ。
あの時、「何も欲しいものは無いかもだけど」と、小さな花束でも差し出されていたのなら、その後の選択も大きく違っていたのではないかと。
花束が欲しかったんじゃない。
私のために花を選んでくれる、その気持ちが欲しかったんだ。
もうね、過去のこと。
今は私のことを思って「おめでとう」と言ってくれる人たちの存在が何よりも有難い。
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