自分の母に重なるところがあるな〜、あ〜、あるよね、思うよね…と読みながらうなずいてしまいました。
私も10代で親と同居していた頃はよく葛藤していました。なぜこの人はこんな基本的っぽいことが分からないのか、視点を変えることができないのか、自分でわざわざ不幸をつくるのか、と。考え方や価値観次第で幸せを感じられる状況にありそうなものなのに、と。
私が行き着いた結論から言うと、「世の中には色んな人が居て、こういうタイプの人も一定の割合で居る。そしてその内のかなりの人が子供を産む。そして子供は違うタイプであることもかなりの確率である」ということです。身も蓋もない感じですが。
それでも自分のお母さんだから、ほんとうは大好きで頼れる存在でいてほしい、幸せでいてほしいと思っているから、つい「ここを直せば」と考えてしまいますよね。それはきっと今まで小瓶主さんのお母さんと接してきた人たちも同様に思って働きかけてきたところなんだろうと思います。実はそれだけ気にかけてくれる人が居るということは、すごくありがたいことだと思うんですけどね、本人の体験が違うのであれば、それはそれで本人の現実なんですよね。
冷たく聞こえるかもしれないけれど、小瓶主さんのお母さんがこれからどう生きていくのかは、お母さん自身の課題・責任なので、娘である小瓶主さんがお母さんの思考の偏りを治す責任を感じることはないと思います。お母さんは変わらないかもしれない。でもお母さんは今までもそれでなんとかやってきた。お母さんの現実と小瓶主さんの現実は一致することはないかもしれない。でも小瓶主さんは自分の現実を大事に生きていい。お母さんにはお母さんの現実があるんだろうな、とはぼんやり思っておく。そしてお父さんや他の大人で相談できる相手を見つけていく。そういう風な「切り捨てる」のとは違う「切り離し」を心がけていくと、少し心が楽になるかもしれないな、と思いました。
自分にとって大事な存在だからこそ悩むのだと思うので、小瓶主さんは優しい娘さんだと思いますよ。お母さんも心のどこかではきっと分かっているのではないでしょうか。
・・・小瓶の中の手紙を読む