片親家庭で育ったので、もともと両親健在の家庭に漠然とした憧れはあった。
それでも昔は周りに片親家庭の子が多かったし、自分の環境が少数派だとか不自由だとかは思わなかった。
ただ漠然と「贅沢」っていうのは選ばれた特定の人にしかやってこないものなんだなぁ、という認識があったくらい。
どうせ買ってもらえないし親に負担かけるのも申し訳ないから、って物欲はなかったんだけど、唯一欲しかったのが「妹」だった。一人っ子で寂しかったし、可愛い妹を可愛がるのが夢だった。
そのうち親が急に再婚して、「妹か弟が出来るとしたらどうする?」て聞かれて、馬鹿正直に「妹なら欲しいけど弟はいらない」って言ったりもした。
生まれたのが妹で良かった…。クソガキ!て思うこともあるけど可愛いし、今でも何かあったら庇ってやりたい、一生大事にしたいって思ってる。
妹が出来て、っていうか再婚してから変わったことは色々あるけど、義父が俺と合わなかったのがデカかった。召使い扱いが当たり前で、デフォルトが自分より下の人間っていうか単なる飯炊き?
人前じゃ妹は俺の子!って可愛がるけど、俺は半笑いで存在をスルー、みたいな。当時はひたすら義父が嫌いで帰ってくるたび嫌な気持ちになってたけど、実母が俺の味方をしてくれてたからマシだった。
それでも義父が仕事の日中に、学校サボって実母と一緒になって買い物したり外食したりするのは罪悪感があって、あの人をクズだカスだっめ悪く言う俺らがこんなことしてたらおんなじクズだしカスじゃん、って思ってた。でも俺は扶養される側だし、実母は善意(と自身のストレス発散)でやってるんだから、水差しちゃダメだよなって合わせてた。
人間そういうもん、と思えれば良かったのかもだけど、この頃にはもう血の繋がりとか関係なく両親のそれぞれ自分勝手な感じが嫌だな〜って思ってたし、なるべく早く働いて家を出たいと考えてた。
両親に心から感謝できない俺って嫌な子どもだな〜と思いつつも、それでも自分が成長して視野が広がり、接する人の種類が増えるとなんとなく違和感を覚え始める。だいたい小学高学年とか中学生くらいからかな。
誕生日って学校で必要なものじゃなく自分が今欲しいものを買ってもらう日なんだ〜とか、勉強頑張ったら褒めてもらえるんだ〜とか、ご飯って親が作ってくれるもんなんだ〜、とか。
違和感はあったけど実母に「男でも女でも子どものうちから覚えておけば困らない」って言われるのには納得してたし、親が家事や自立のために必要なことを教わらずに育った人なのは聞いていたから、自分の経験を活かして教育してくれてるんだな、と好意的に受け止めようとしていた。
思春期だし、自分のやりたい事ができないとか一人の時間がないとか相応に不満はあったけど。でも自分が子どものうちはしょうがない。って思えてた。妹の世話も半分以上俺がやってるようなもんだったけど、俺が欲しいって言ったしって責任感もあった。
義父の愚痴の一つとして、実母から「〇〇が妹欲しいって言うから結婚した笑」と、暗に「俺が言わなければあんな奴と結婚する気はなかった」と言われたこともあったし、じゃあ俺が妹のこと疎んじゃいけないな、って思うだろ。こんなに可愛い存在を欲してたのは両親じゃなく半分しか血の繋がってない俺なのかよ、て思いもしたけど。
あれ、なんか変じゃない?俺じゃなくて、この家の人がおかしいんじゃない?
自分、親に対してこんなに嫌な気持ちで接してたっけ?
て思い始めたのは高校の頃。
入学と同時に引っ越したら親が離婚したりしてバタついて、前から患ってた実母が鬱悪化させて保護を受けるようになった。とはいえ人と喋りたがらないし食事も取ろうとしなくて、手続きの一才が全部宙ぶらりん。
俺は俺で入学前で慌ただしかったし、妹の世話もあったし、実母のケアまで手が回らなかった。両親が離婚するってなった時に「お前ももう高校生なんだから話を聞け」と言われて、二人の離婚話(と言う名の愚痴のぶつけ合い。子どものネチネチした口喧嘩みたいなやつ)に混ぜられたのがショックだったのもある。
高校生って関係ある?二人が離婚することに俺の意思って必要?不満があるなら言えって、俺の意見で離婚がひっくり返る訳でもないのに?みたいな。
この時の実母の選択は俺を子どもとして見てないから出来たんだろうな、って思ってる。自分の味方として同じ土俵で義父を否定して欲しかったのかな、みたいな。
絶賛病んでる実母は保護に必要な手続きを全然やらなくて、福祉事務所からも催促の電話がくるけど無視。向こうは生活が大変だからすぐにでも保護を受けたい筈では?連絡がないなら生活できているのか?と不審がる。そりゃそうだろうな、と今なら普通に思える。
でも俺は実母の病気を理解できなかったし、もともと家事を率先してやる人じゃなかったから「このくらいはやってくれよ」と思ってた。それ以外は全部俺がやってるんだから、大人の事務処理が必要なことはあんたが、って。これが正しかったのか冷たかったのか、今でも判断できない。
で、あまりにも放置が続いたある日。俺も意地になって何も言わずにいたら、明かりもつけず薄暗い部屋でジーーッと机に向かって座ってた実母が言った。
「ママは別に、このまま死んでもいいけど?」
言われた瞬間にカッとなった気もするし、血の気が引いてさーっと体が冷えて行った気もする。
は?なんだよそれ。俺らのことはどうでもいいんだ。なんでそんなこと言うの。俺が怒っちゃダメだ。あんたが死んだら俺らどうなるんだよ。なんでそんな他人事みたいに言うわけ。じゃあ好きにしろよ。責任感ねぇな。病気だからしょうがない。またそうやって全部俺に押し付ける。
自分がなんて返したかはよく覚えてない。たぶんそんなこと言わないで、とか、俺も手伝うから、とか言った気がする。どうにか無事に手続きを済ませて保護を受けられる、一定の収入が確保できる、って決まった時、俺の中には妹の将来への心配しかなかった。
今までは義父にしか向いて無かった苦手意識と嫌悪感が完全に実母に向いてて、でも同じくらいあんなに優遇して育ててもらったのに、たくさん外食に連れて行ってもらったり、服を買ってもらったりしてたのに、俺はなんて恩知らずなんだ!って気持ちも同じくらいあった。
病気なんだから仕方ない。家族なんだからサポートしなきゃ。って思うたび、じゃあ俺のことも支えてくれよ、診断して病名つけば誰かが面倒見てくれんのかよ、って憤りがあった。
実母に対しても結局この人は自分の排他的な生き方が原因で家の外に味方をつくれず、自分の不器用さで不要な敵まで作って自滅しただけじゃん。なんでそれに俺が付き合わされなきゃいけないんだよ。俺の人生あんたのケアのために浪費したくねぇよ。
思えば思うほど、自分が嫌な奴だな…ってうんざりした。
高校時代はそんなバタついたスタートだったけど、実母がオンラインゲームにハマって遠くの顔も知らない俺と同い年の若い男の子たちと夜中まで通話して遊んだり、その中の一人とネット恋愛をして遠方に大きめのダン箱いっぱいのお菓子やらなんやらを詰めて贈ったり(コンビニまで持って行くのも店員とやりとりするのも俺だった)して、会話自体が減っていたのは良かったんだと思う。
今までより具体的に気持ち悪いこの女!って感情が高まって、気持ち悪くて気持ち悪くてしょうがないから俺も日付変わるまで外で遊んでたりした。それに関して何にも言われなかったから、俺は遠くの顔も知らないタメの男らに言ってやりたかった。
お前らが若い女と思って遊んでるそいつは、お前らの母親と変わらない歳のコブ付きビョーキ持ちの嘘つきババアだぞ笑。って
そう思う自分が気持ち悪かった。めちゃくちゃ嫌な奴じゃん。でも実母を受け入れることは出来なかった。
保護の関係で卒業したらすぐ家を出る話が持ち上がると、実母は俺に泣いて抱きついて縋った。
「〇〇がいないと寂しい。嫌。ママを置いていかないで」
そう言って本気で泣いてる実母を見て、俺は長袖だから鳥肌がバレなくて済むことに何より安堵していた。
卒業間際になるとチリツモで嫌なところや理解できないところがどんどん増えていって、正直同じ空気を吸っているのが嫌でしょうがなかったし、規則上俺が家を出ないといけない(出ないなら俺の薄給で全員を養わないといけない)と分かった時はガッツポーズしたくなるほど嬉しかった。
その頃には実母が俺を愛してるというよりは依存しているだけと分かっていたし、一緒にいたらいつか俺自身が罪に問われることをしてしまうと思った。
小学生の頃に何も考えずアニメやドラマの影響だけで「高校生になったら一人暮らししたい!」と言った俺に本気で機嫌を損ねてその後丸一日口を利いてくれなかった人だから、よくあるように我が子を自分の延長に考えていたんだと思う。
今でこそそうやって客観的な分析ができるが、当時はひたすらにコイツキモい、ありえない、意味がわからん。って混乱しまくってた。でも他の家庭なんて知らないから、家を出たがってる俺って薄情なんかな、って不安だった。
俺と離れたら死ぬ!ってくらい騒いでた実母は、俺が実家を離れた今もフツーーーに生きてる。結構な頻度で実家に顔を出してはいるし、その度にハグを迫られるのはキツいが。
顔を見るたび嫌だなぁと思うし、この人の介護なんてしたくない!と思うし、妹が当時の俺みたいな不満を実母に抱いているのが恥ずかしいやら懐かしいやら。
ここ最近で一番キツかったのは、俺が舌ピアスを開けたら「いいな〜、〇〇、ママにも開けてよ」と言ってきたこと。断ったら5日経たないうちに「開けたで〜w」と連絡してきたこと。
無邪気な人なんだ。心を病んでるから自分のやりたいことをさせて上げよう。還暦も遠くないけど働いてないし、疾患の危険あるレベルの肥満でも化粧っ気の一つもなくても外に出ないで寝るか喫煙かの二択の日々を過ごしてても、ボディピアスでもタトゥーでも好きにさせてあげよう。
この歳だし今更変わるのは無理なんだろう。俺らが程よい距離感を見繕わなきゃいけないんだろう。親なんだから尊重して尊敬して、大事に思ってやろう。
イヤ無理だ!!!!!!!
無理だろ!?イヤだよ!!なんで?!気持ち悪いだろ!ありえねぇってマジで!!
年齢や性別で偏見を持ちたくないが限度があるだろ?!?!気持ち悪いんだよ!!どんだけ俺の真似すりゃ気が済むんだ?昔だって俺が開けたピアスの数が実母を上回ったからって「お前に負けてるのは気に食わんからママも開ける」って増やしてたのゲロ吐くほど気持ち悪かったが今回はその上だぞ?!?!
開けてどうすんだよ何がしたいんだよ実母と舌ピおそろで〜す^_^ってキモイ以外何を思えば正解なんだよ。
病気とか歳とかこれまでの苦労とかなんっっにも関係ねぇよ。お前の人生はお前の選択の積み重ねだろ。改善しようとしないお前の怠慢が今を作ってんだろ!?
俺はこれ以上俺の人生をこの人に割きたくない。この人が俺にしてきたことは親としての責任であり、愛情であったかも知れないが同時に義務の範疇を出なかったとも思ってる。
薄情なら薄情でいい、俺が間違ってるなら間違ってるって言って欲しい。
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ななしさん
親といえど所詮は他人。
でもね、精神病みながらも社会に出るまでなんとかあなたを見捨てず育ててくれたぶんについてはお疲れさまでしたと思うくらいはいいんじゃないかな。十分なサポートではなかったかもしれないけど。
あとはもう、あなた次第。親の老後に付き合うか否か。
親は親、子は子の人生に責任をもって。
ななしさん
間違ってはいないと思います。
親との関係も一種の人間関係なので合わないこともあるでしょう。
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