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名前のない小瓶
自分の母に重なるところがあるな〜、あ〜、あるよね、思うよね…と読みながらうなずいてしまいました。

私も10代で親と同居していた頃はよく葛藤していました。なぜこの人はこんな基本的っぽいことが分からないのか、視点を変えることができないのか、自分でわざわざ不幸をつくるのか、と。考え方や価値観次第で幸せを感じられる状況にありそうなものなのに、と。

私が行き着いた結論から言うと、「世の中には色んな人が居て、こういうタイプの人も一定の割合で居る。そしてその内のかなりの人が子供を産む。そして子供は違うタイプであることもかなりの確率である」ということです。身も蓋もない感じですが。

それでも自分のお母さんだから、ほんとうは大好きで頼れる存在でいてほしい、幸せでいてほしいと思っているから、つい「ここを直せば」と考えてしまいますよね。それはきっと今まで小瓶主さんのお母さんと接してきた人たちも同様に思って働きかけてきたところなんだろうと思います。実はそれだけ気にかけてくれる人が居るということは、すごくありがたいことだと思うんですけどね、本人の体験が違うのであれば、それはそれで本人の現実なんですよね。

冷たく聞こえるかもしれないけれど、小瓶主さんのお母さんがこれからどう生きていくのかは、お母さん自身の課題・責任なので、娘である小瓶主さんがお母さんの思考の偏りを治す責任を感じることはないと思います。お母さんは変わらないかもしれない。でもお母さんは今までもそれでなんとかやってきた。お母さんの現実と小瓶主さんの現実は一致することはないかもしれない。でも小瓶主さんは自分の現実を大事に生きていい。お母さんにはお母さんの現実があるんだろうな、とはぼんやり思っておく。そしてお父さんや他の大人で相談できる相手を見つけていく。そういう風な「切り捨てる」のとは違う「切り離し」を心がけていくと、少し心が楽になるかもしれないな、と思いました。

自分にとって大事な存在だからこそ悩むのだと思うので、小瓶主さんは優しい娘さんだと思いますよ。お母さんも心のどこかではきっと分かっているのではないでしょうか。
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名前のない小瓶
Aレベルとかかな?プレッシャーが強くなる時期ですね。

学生に対して、親や教師は目標を持てとかやりたいことを探せとか言うけど、十数年しか生きてなくて、自分のことも世の中のこともよく分からない時点で「将来を考えて」何か決定を迫るってこと自体、ほんとうは無茶なことなんだよなと、振り返ってつくづく思います。

生きていることは予測できないことの連続なので、十代のころに考えてたような人生を20年後に送っている人はほぼ居ないと思う。将来の夢なんて、どんどん更新されて当然のものです。

学生の頃は嫌でも横並びで比べられるので、他の人のようにできないと落ち込んだりすると思うけれど、なんというか、頑張るタイミングって人それぞれなんじゃないかと思います。生きているうちに、どこかで自分の必要と機会と意欲が重なるタイミングが来るので、その時がほんとうの頑張り時。ピンとこないうちは、気力も体力も温存しておけばいいと思いますよ。

学生時代の勉強は慣らし運転のようなもの。いちばん大事なのは自分の頑張り時にアクセル踏み込めるように、勉強のやり方を学ぶこと。分からないことをどう調べ、どう自分でまとめ、どう人に伝えるか。それは職業とかキャリアとかに限らず、人生に役立つことだから。

十代で将来やりたいことが分からないというのは当然で、自分に正直なだけだと思う。自分がどういう人間か理解するにさえ、びっくりするくらい時間がかかるもの。小瓶主さんは何も間違っていないから、他人の期待という圧力がかかる中でも、どうぞその「分からない」気持ちを無理に既存の型に押し込まず、自分の好奇心を守ってほしいな、と勝手に応援しています。
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名前のない小瓶
私も今考えるとHSP気質で学校や集団が苦手でした(あ、今もか)。大人数のコミュニケーションって疲れますよね。誰と誰が仲が良いとかの関係性も。めんどくさい一方で、「ちゃんとうまく」できないと落ち込んだりして。

中学の時に親友がいらしたということからも、小瓶主さんは一対一のコミュニケーションは特段苦手ではないのに、グループになるとしんどいのかなと思いますが、どうでしょうか。私もそういうタイプで、色々考えたり試したりしてきましたので、以下もしあてはまるところがあれば参考にしていただければと思います。

まず私が大人数のグループが特に苦手なのは、共感性が働く相手が多すぎて混乱するのが主な理由と思われます。HSPと言われる人は、大方他人の感情にひきずられやすい特徴があると思います。これは一対一で深い関係を築く時には相手によく共感できるという意味で役に立つ面もあるのですが、無自覚だと他人と自分の感情の区別があいまいになってしまうため、特に感情ソースが複数の状況はキャパオーバーになりやすいです。

小瓶主さんは高校生活の初めで話しかけるクラスメイトに気を遣いすぎてしまい、結果不自然な言動になってしまった旨書かれていますが、これも「相手がどう感じるか」を自分の言動の基準に据えてしまった結果ではないかと思います。もちろん、人間関係で「相手がどう感じるか」を勘案することはとても大事なことなのですが、そもそも「相手の気持ちになって考えましょう」と小学校の先生などが口を酸っぱくして言い聞かせるのは、人間は自己中心的な傾向があるという前提のもとになんです。でも実は人の持って生まれた性質や傾向というのはばらつきがあるので、一般的にはよいアドバイスがあてはまらない場合も結構ある。

というわけで、人の感情にひきずられやすい人の場合、「自己中の練習」をするとよいと思います。「自己を中心に据える」練習です。他人に接する時、つい「相手は何を期待しているか」に照準が自動的に合ってしまう傾向があるということをしっかり自覚して、そこに心の中で突っ込みを入れましょう。ちょっと待て、と。これは果たして自分の気持ちなのかな、自分はどう感じているのかな、と。

友達をつくるのに何が一番大切か。それは「自分が相手を好きか」なのです。(これ一般的にはわざわざ言語化しないほどの大前提らしいのですが、これに気がついた時私は衝撃でした!)小瓶主さんは「もっと自分に自信を持って」と言われたことはないでしょうか。これを「自信が持てるように客観的な評価を上げて」と脳内変換していませんか?これは実は「もっと自分の判断や好き嫌いに自信を持って、それを基準に行動して」ということなんですね。

そもそも考えてみれば、自分が特に好きでもない人から好かれたり親しげにされたりしても嬉しくないものです。だから一番大切なのは小瓶主さんが面白いとか好きだと思う人がそこに居るか。採点者は小瓶主さんなのです。自己中の練習、HSPには結構難しいのですが、ぜひやってみてください。(どんなにがんばってもHSP気質が強ければ平均以下の自己中にしかなれないのでご心配なく 笑)
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名前のない小瓶
ハラスメントというのは、職場などの力関係を前提に、相手が拒否しづらい立場にあることを利用して何かをしつこくやることだと思います。対等な関係にあれば単に断って後腐れなく済むことが、それで済まない場合。

「告白ハラスメント」は一部メディアの造語のようですが、内容をみると、相手に好意を伝えること自体が悪いといっているわけではないはず。好意が返ってこなければ素直に引けば問題ないでしょう。

また、好みではなければハラスメントというのももちろん違います。容姿も性格も好みは人それぞれだし、そんなの聞いてみなくちゃ分からない。

「女の人は」と書いておられますが、もしかして女性の少ない環境で過ごされてきたのでしょうか。世の中では「女性と男性は考え方や心理がちがう」という前提で色々言う人がたくさん居ますが、それは人生経験の乏しい人(年齢に関わらず)か、クリック数を稼ぎたいライターさんであることが非常に多いので、「同じ人間として、自分だったらどうかを考える」方がよっぽど確実です。その上で、違ったら修正する。

小瓶主さんは、仲が良いけど恋愛対象ではない女友達から好きだと言われたらどう感じて、どう対応しますか?主さんのように相手の気持ちを思いやる方なら、そこで嫌いになったり邪険にしたりはしないのではないでしょうか。逆に、「見た目がタイプじゃない男からの好意は気持ち悪い」などと言う女性は、思いやりのない人だと思うので、こちらから願い下げ、でよいと思います。

小瓶主さんの良さに気づいて大切にしてくれる人との出会いが、これからたくさんありますように。
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名前のない小瓶
まだ十代なら成長の過程で変わっていくことは十分可能性があると思いますが・・・

そこで止まってしまう人も一定数いるみたい。主さんが書かれたようなことを大人になってもやり続けた母。還暦とっくに過ぎてから「あなたに私の気持ちは分からないのよ!!」と昔と同じくドラマチックに言われた時にはさすがにあきれてしまって、「そんなの当たり前じゃないか。あなたは一体誰の気持ちを分かっているというんだ」と返したら、「えっ?!」って鳩が豆鉄砲くらったような顔をしていました。あー、ここまで生きてきて本当にそっちの方向では考えたことないんだな、とむしろ感心しました。

苦しんでいる友達がいたら助けたいと思うことは自然なことだけど、結局どうしても問題解決に動こうとしない場合は、たぶん問題を解決しないことがその時点の本人にとって正解だったりするのだと思います、語弊を恐れずに言えば。

他人の課題を外野が解決することはできないし、そもそも価値の優先順位もそれぞれ違う。こうすればトラブルにならずに済むのに、と思っても、同じパターンを繰り返す人は、そもそもトラブルにならないことよりも優先したいことがあるのかもしれない。

相手の苦しみを思いやって、力になりたいと思ってやってきたのに、相手に段々怒りを覚えるようになってきたら、それは相手と自分を同一視しすぎているサインかもしれません。誰かを助けるということは、その人の努力や必要にこちらのできることがタイミングよく合った結果にすぎないのだと思います。どんなに大切に思う人でも、完全に分かり合うことはできないと自覚しつつ、それでも優しくあろうとすることは、みんな一生の課題として試行錯誤していくことなのかなと思います。
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名前のない小瓶
生きる意味と生きる意義は別ものだって誰かが書いてて、なるほどと思ったんだけど。

たとえばさ、「あなたの生きる意味は労働して納税することです。今はその準備段階として学校で基本的知識の習得やルールに従う練習をするのが目的です」って言われたとして、納得できなくない?そういうことじゃないんだよ、っていうか。これは意義としてはそういう理屈もあるだろうけど、生きる「意味」っていうのからはズレているから。

誰得とかいう話も、たとえば「こども手当の合計から支出引いて〇〇円得した」とか言われても、納得できなくない?あなたがいると私が具体的にこういう得をするから生きてねとか実際言われたら、普通に嫌じゃない?

意義はどうとでもつけられるけど、それに納得できないのは、意味は個人の体験的なものだから。どんなに社会的に意義があることでも、自分が面白いとか楽しいとかほっこりするとか達成感あるとかの「味わい」がないと「意味」は感じないんだよね、結局。逆に全然何の役にも立たないマイナーな趣味に没頭すると、意義はゼロでも生きる喜びに溢れちゃったりすることもある。

みんな目的なんかなく、たまたま生まれてきただけだから、やりたいことやって生きればいいんだよ、ほんとは。歌いいじゃん。私も1円の得にもならないし、人にも特に喜ばれないけど(笑)、時々へんな歌作曲して遊んでるよ。どうせ生きてるなら、自分が面白いと思うことやった方がいいじゃん。
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