興味深い。
損得で動く、メリットがないことは無駄と考える。はっきり自覚されているんですね。それならば友達は不要ということで正解じゃないでしょうか。一般的に使われている意味からすると、損得で動くなら友達とは言わないと思うので。
特段何をしてくれるからとかではなく好きという感情をフェイクすることは難しいし、やるほうもやられるほうもしんどいと思います。
むしろそういう考えのレンさんにとって、信用できる人というのはどういう意味なのでしょうか。もし自分に損害を与えない人という想定なら、それはそもそも存在しないと思います。
わたしの基準では、信用できる人とは「基本的に良心的な人」とざっくり捉えているので、大体の言動の一致率と、過失や喧嘩の後の対処で判断します。具体的には、自分の非は素直に認める、責任転嫁をしない、自分に悪意がなかった場合でも相手が傷ついたなら謝る、改善しようと具体的に努力する、などです。でもそういう人からだって傷つけられたり不利益を受けたりする可能性は常にあります、というか日常茶飯事ですね。
一読した限りでは、個人としての他人に興味がないタイプなのかなと思ったのですが、感情を無くす努力をされているというくだりが気になりました。自分がそういう努力をしていた頃は、非常に辛い時だったので。そうすることでしか切り抜けられない状況というのは確かに存在するので、安易にどうすべきとは言えないですが、結論からいうと、一時的に麻痺させることはできても、なくなりはしませんでしたよ。本当に、心というのは不思議なものですね。
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