やりたくないことを無理して続ける必要はないけれど、お手紙を読む限り、「一定期間のうちに他人より秀でるという定義で成功しなければ、何かをすることに意味はない」という思い込みが強いのかなと思いました。
社会が複雑化して専門性が重視されるようになったことで、一芸に秀でることが理想化される風潮はたしかに見受けられますよね。でも「広く浅く」の価値っていうのも確かにあると思います。
いつだったかイギリス紳士のモットーとして"Do many things, none of them well."というのを聞いて、なるほどと思ったことがあります。要するに社交界でウケるには、色々話を合わせたり、付き合い程度にできることは多いほどよいが、人をうち負かして反感をくらわない程度であることが最も有益である、という考え方ですね。社交界に縁はなくとも、一理あると思いませんか?
色々な習い事をしたけれどどれも中途半端だし続かなかったから無駄だった、と考えることもできるけど、そもそも習い事や趣味というのは極めることが目的とも限らない、というか、極めるのはレアケースだと思います。じゃあ極められない人にはやる意味がないのかというと、そうでもない。広く浅くレパートリーを増やしておくと、後々ふと自分なりの組み合わせ方が生まれたり、思わぬ時に役だったりすることってやっぱりあるんです。長い人生、予期できないことがたくさんあるので、種は多めに蒔いておいた方がいいと思います。
個々の枠組みの中での優劣はあるけれど、色々な分野に手を出しておくと、その組み合わせとして確実にユニークな存在になって行くというか。進路なるものも実際には手がかり、とっかかりにすぎません。違うと思ったらがんがん修正していく心構えでよいのではないでしょうか。
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