恥ずかしくて仕方がない。人が何と言おうと
自己とは何か、生きるとは何かが分かれば
私の人生に悔いはない、幸せに生きられると
思っていた。それがもし分かったところで
目の前の苦しみが消えるわけではない。死を
免れることも、病気をしない保証も、不幸に
遭わない保証もない。
証明できない根拠のない問いに対して考えて
出た答えが一体何の意味があるだろうか。
その答えは正解とも不正解ともどちらでもある
ともどちらでもないとも言えないものである。
まさに妄念妄執である。
薪があるから火がついて薪が燃え尽きたから
火が消えたというだけのことである。
火がどこからやって来てどこへ行ったのか
ということを議論しても無意味である。