いつも、1人でも拾ってくれる方がいたらありがたい気持ちで書しておりますが、それを上回る人数の方々に拾っていただきました。その中には保存をしてくださった方やお返事をくださった方々もいて。皆様、そして、動物搾取問題の声を上げる機会を与えてくださった管理人様には感謝の念に堪えません。
ありがとうございます。
畜産動物等として扱われる動物達と愛玩動物として扱われる動物達に分けられている世界に我々は生まれてき来たので、最初の時点からそれが当たり前という感覚でいる人が多いのかもしれません。
本来は区別すべき理由なんてなかったのに、こちらの種類の動物は畜産動物であり、こちらの種類の動物は愛玩動物にしようと一部の人間が勝手にレッテルを貼り区別化を図りだしたことにより、現代のこのような構造に定着化してしまっている世界があるのだと思います。こんなのはおかしいと思います。
命とは食べ物にされるために生まれてくる訳では無く、どの命も生きるために生まれる命だと思うし。
それぞれに個性という違いがあるだけで、本来は全ての生き物に優劣なんてない。人間が勝手に生き物に対して優劣という序列をつけたりして、これらの種の動物達は食肉にして良いと差別化をし、それがいつしか当たり前のこととして定着してしまってるから、現代人の誰もが誕生した時点から既に染められてきたこの刷り込み教育に疑問を感じない人がきっと多いのだろうとも思います。
現に動物搾取の問題に取り組んでる団体様に対してアンチコメントを書き込まれ人達がしばしばいますし。
刷り込まれてきたことに疑問を抱くこともなく、自分の頭で自分なりに物を考える人が少ないようにも思います。他にも思うことはありますが。
人間は常に畜産動物などにされている動物達とは違い、人権や身の安全が守られ、自由が確保されている状態で自分の感覚や感情主体で生きてるものだから、換言すると自分は実際に彼らにもたらされている苦痛を感じることなく生きていられているからアンチコメントを書き込めたり、企業などに声を上げてもなかなか本腰を入れようとしない所が多いのかもしれないとも思います。
だけど、自分自身や自分の大切な人達が実際に今度は動物達と逆の立場にされたら殆どの人は命乞いをしたくなるだろうし、同じような残酷な扱いをされたり、誕生したばかりの我が子と無理矢理に引き離されるという永遠の別れによってもたらされる断腸の思いで苦しみたくはないものだと思います。また、虐げられた扱いをされたら誰だって相手のことを許せないし、我々は物なんかではない、我々も感情や命があると抗議の声を上げたくもなるのが人情なのではないでしょうか。
聖人君子のような完全無欠な人はいないので、誰もが自分軸で物事を見て判断してしまうのはある意味仕方が無い、当然なことであるのかもしれませんが。
それでも、この拙い文章による俺の一つの意見が、本当は生まれた時から人間達の当たり前のように自然の中で自由に生を謳歌したかったであろう無数の命を悼んだり、今この瞬間も世界中の至る所で虐げられている彼らの視点からも物を見て考えてくれて、彼らに対して憐れみの心を持ってくれるようになる人が一人でも増えてくれるきっかけになることを願いながら、この度も私見を述べさせていただきました。
小瓶を拾ってくださり、長文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
アユム
どういたしまして!!
人間は食物連鎖の頂点だからなぁ……
強者は、どの立場でも
生きるためならば弱者に残酷なことをする。
産まれたてのヒナをさらったり
はぐれている動物を襲ったり
幼虫に卵を産みつけたり。
それは、自分たちが生きるため。
人間がどうしたというよりも
今までもそうしてきたし
そういう「世界」だからこそ
ここまでこれたのさ。
弱者に気を配っていたら
進化もないし、成長もない。
だからこそ
残酷から目を背けてはいけない。
ボクたちが生きるためには
冷酷にならなければならないのさ。
そして、犠牲になった命の分
ボクたちは生きる義務がある。
「死にたい」と思っても
軽々しく
「死にたい」などとは言ってはいけない。
「死にたい」などと
犠牲になった命たちに
あまりにも失礼だろう。
愛玩動物は彼らなりの生存戦略なのさ。
強い者がいるのなら
それに取り入ったほうが生きやすい。
アリに取り入るアブラムシ
サメに取り入るコバンザメ。
まずは、生きてこそ。
生きなければ、可能性はゼロになる。
何の可能性かって?
頂点に立つ可能性さ……
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください