小瓶主さんからのお返事
お返事ありがとうございます。
覚えていてくれた方はお久しぶりですね。
なんで暫く振りなのかっていうと、知ってる方もいらっしゃるかもしれませんけど、あんだけさらけ出しておいてバレないことを考慮しない方がおかしかったんですが、身内にバレて、なんかわかったような、納得したつもりになってるような変な行動を取られるやらがめんどくさかったからです。
(見てるかコノヤロー、流石に今は落ち着いてるだろうとは思うが、相手が自慰してるとわかっているにも関わらず部屋のドアを開けてそこに居座るようなデリカシーの無さを感じたぞ。…茶化して言ったが、人と接する上での節度というか、自分が似たような事をされたとして、どのような気持ちになるかを考えて頂きたい。人との価値観は違うものだろうし、その人そのものの気持ちになる事はとても難しいだろうが、自分の人生を振り返ってみれば、されてみた似たような経験や、あれやこれやと考えた思いというものを、一つくらいは思い浮かべはしないだろうか。絶対に答えるつもりもないが、何故しようとしないのか、何故答えようとしないのか、そこには言い出せない、言い出したくない理由があるんじゃないかと可能性を考える事は出来ないのだろうか。俺はただ、何故こうも距離を詰めようとしてくるのか、と思っていた。あと、それとは別件の事なんかも交えて小瓶を書いているので、見える行動から垣間見える気持ちもあるかもしれないが、相手の気持ちを想像しているのは自分自身だという事を忘れず、くれぐれも自分から見える範囲だけを捉えて、あるいは自分の出した答えを過信して、見えない人の内情を決断しないで頂ければ幸いだ。今はその事柄に対して、気持ち的には煮え切らないままでもあるが、どうとも思ってない)
まあ、そんな話はどうでもよくて、この小瓶に書いておけばよかったと後々は思ったのですが、久しぶりに宛メに戻ってきたというのもあって、どうも以前書いていた自分の感覚と同じではないというのを実感した体であります。
予め、違うだろうなあと解ってもいたので、復帰というか、感覚を戻すための練習としても、稚拙ながらポエムみたいなものを投稿させていただきました。
個人的な出来事(主に愚痴やらそれ以外にも色々ある中で思う事やら)を混ぜこぜにして、どう詩の表現として落とし込めるのか、書いていて少しもどかしくもあり、楽しくもありましたな。
凄いなんてとんでもない、この内容をそれぞれの意味を持って読める人こそ凄いんだと思いますよ。
ちょっとした、ありがたいお節介を言ってくださった方には…
そうですね、「確実に変わっているし、変わっていないと思えてもそれなりに変化はしている」とでも言っておきましょうか。
変化とは、人それぞれ、ものそれぞれ、全てに関わってくるのですから。
ふふふ、文章が長すぎたせいもあるやもしれませんが、同じ道を引き返しているわけではないのですぞ。
そこから察するに、もしや私めの文章の内容に引きずり込まれて頂かれましたな?(ドヤ顔)
あと…、まあ、白い空が何を意味するのかは読んでくださった方々のご想像にお任せします。
作者が答えを言ってしまうというのも、時として面白みに欠ける行為になりますでしょう。
なんてったって、一つの言葉に、一つだけの意味や気持ちを込めた訳ではないのですからな!(真相は言わないスタイル)
決して負の感情のみを込めた訳では無いのです。
閉鎖的な、ある種の逃げとも捉えられるし、ある種の希望感のある旅立ちとも捉えられるのではないかと。
どっちでもあるし、どっちでもない、そんな分かたれてない気持ちを表現したかったのです。
ただ、一つ気がかりだとすれば、それ故に感じる事柄の幅が広いかもしれない、という事でしょうか。
なので、割と読んでいる人の価値観とかに、内容が左右される場面もあるかもしれませんので、というか、自分でも書いていて複雑な思いを込めたので、良いようにも悪いようにも捉えられる可能性があると思っていますので。
…話が終わらなくなりそうなので(ので連続)、それはともかく、全体を見、それを変えようとしても変わらないのであれば、個人の手を伸ばせる範囲を暖めておけば良いのかもしれませんな。
的外れだとか、そんなものは知らんのです。
人とが関わる中で、気にかかる事、気にかけて頂ける事はありましょうが、自分は自分の思った、感じた事を発するのですから、それなりにそんなもんでしょう。(何が)
あ、でも、準引きこもりなのとかは変わってないです。
聞かれてもいない事を長々と書き連ねていますが(まだ続く)
人には一つくらい、誰にも言いたくない事ってものがあったりして、それを自分の内に抱え切れず、出し切れず、かと言ってそれに触れられれば、触れられそうになれば、更に奥の方へ、誰の、自分の目にさえも届かない所へ引っ込めようとする事もあるかと思います。
人によってはもう、親しいだとか頼れるだとかが関係なかったり、逆に、寧ろそういう人にこそ話しづらい場合や、気持ちだったり。
私がそれに対してどうこう言える訳でもないし、自分自身その要素があったり、そういった場面がある中でどのような心持ちで、またどのように接する事が出来るのか、書きながら現在進行形で考えてもいますが…
そういう限られた状況の人が心の整理だとか、言葉に置き換えられたりだとかで、打ち明けられるまで待つか、こう言っちゃ変ですけど、その人が向き合う事を認めてあげるというか、その悩みには手を出さない前提で、気持ち的なフォローだとかを試みるくらいしか思い浮かばなくて、なかなか難しいもんだなあと思ったりしてます。
それとは別に、ちゃんと言う事でも、何か変わる事もあったりするんだと思う。理想論を言えば、言い方とかをしっかり考える事が良いんだろうけど、何からしっかり考えなきゃいけないかというと、「しっかり」とはどういう事なのか、という事が始まりだったりするんじゃないだろうか。
また、少し違った話ではありますが、管理人さんのブログや、その元となった小瓶も読んで、思う所があったり。
自分の悩みに対してなんですけどね。
少し解るかもしれない所があって、取り返しのつかないこと以外は、人に傷付けられても傷付けるのも怖くはないのですが、どこからどこまでが、とか、何気ない一言が、とか考えちゃうと、もうね。
あくまで個人としての、持論として考えたことを言うと、自分が気持ちを(言葉にして)出すって事には、必ず、メリットとデメリットが起こるかもしれない、という可能性がワンセットとして付いてきてると思うんだよね。
だけども、言葉にしなくて、ただ黙っているだけでも、そこに人の意思を見出す人というのもいる。
勿論そうじゃない人も、場面もある。
言葉を発するのも発しないのも、同じではないけど、似たように、受け手側で判断するというのは一貫してる。
それは、受け手側にもある程度、責任があるって事だと思う。
言葉を発した場合に、何か嫌な事や不味いことがあれば、発信者の自分にも責任がある、と思うだろうし、自分自身、そういう事を思う人間なんだけど…
じゃあその、発信側にも受け手側にも責任がある中で、どこからどこまでが自分の取れる範囲の責任なのかって、考えるんだわな。
考えようによっては、どうにも誰にも責任を問えない状況も想定できてしまうし。
なんか、引き合いに出して悪いけど、政治の官僚だとかが、すぐ大統領とか上の方に責任を押し付けたり、また押し付けられた上層部とかはすぐ辞職して立場を降りようとする、あるいは降りさせられようとする訳だけど、結局何が解決するかっていうと、人が減ってるだけなんだよね。
別に、その人が辞める事でメリットがないって訳でもないけど、それに対するなんの対策も講じられず、また貴重な失敗という経験を持ってる人材を活かすことも出来ず。
まあ、当事者じゃないからとか、信用問題を差し引いてるから言えるってだけかもしれないけど、なんか、そういう視点から考えると違和感感じない?
で、問題が起きてから信用問題とか言うけども、実際政治だと、今まで別の大統領やら上層部やらがやって来た事を、続けてきたってのもあるからなんとも言えないけど、一世の人間に押し付けてを繰り返して。
(一人一人のやる気や、役に対する誠意などの姿勢の責任は個人個人にもある)
起こる前に問題には気付きたいけど、もし突発的なミスだとかなら今までの信用とかも関係ないし。
政治じゃなく、人間関係の中でもそうで、突発的なミスを、ああだこうだと、ただ怒鳴りつけてストレスを掛け続けるだけなら、良くなるどころかミスが増えるばかりに思うし。
気付くためのアンテナを広げるのは良い事だと思うけど、さまざまに沢山にあるかもしれない要素の全てを、見つけ出しては怖がっていても、対策や心構えがなければ危ないと思って、怖がってるままだし。
怖がるのも大事なんだと自分の経験として思っているし、自分じゃどうにもできないような何かがあるかもしれない事も心得てはいるけれど、何かこう、やり方とか、いなし方とか、調和の取り方だったりとかがあるから、人間がここまで文明を持って来られたんじゃないかと思ってる。
管理人さんだろうが、あの小瓶の方だろうが、俺だろうが、なんかしら思ってる人はいるし、それを出す事で自分もそう思っていた、似た事を考えていたと思って、熱のある場所へ移動するように、共鳴するように、何か伝え合う、それぞれの思いを出す、というのもあるんだよね。
それだけが起こるわけじゃなくて、何か間違えば悪いことが起きたかもしれないけど、少なくとも同じような事を考えている人がいる事に気付く事が出来るし、その人の考えにも触れられる。
怖いだけじゃそれは得られなかったと思う。
いや、怖がったから、悩んで、考えて、向き合って、そこまで来たってことだと思うわけよな。
俺の場合だと、未だに本当の気持ちを直に書き込んだりするのが怖いし、それ以外にも自分の気持ちがよくわかっていない、形にしてみたいって部分もあるから、それでこんな表現で、小瓶を流している面もある訳だし。
人それぞれ、どう怖い、何に対して怖いというのも、それに関わる安心というのも違うだろうから、なんとも言えない部分もあるんだけど…
違うからと言って、俺の小瓶に返事をくれた方々のように、全部が全部理解出来ない、何か感じない、と言うわけでもなかったりするし。
価値観が違うと言っても、価値観という共有のある、ただの人間同士なんだしさー。
まあ、自分のような、溜まったらいつか爆発し続けてきた、悩みを抱える身としては、どのみちこの道、どこかで飛び出してしまったのかもしれませんな。
自分の抱えたものに対して、丁度いい距離感とはどこか、を考え続けている。
きっといつか解るだろうと、期待や希望にも、確信や疑問にも、それぞれがまとまったような、それぞれに似た思いを感じています。
どう言ったら良いのかよくわからないんですけれどね。