「応援してます!」って気持ちがあったとして。でもプレッシャーになったらどうしようかなとか、期待に応えようと無理しなくてもいいからとか、いろいろ思い浮かんで結果「なにも言わない」「なにもしない」「こうして独り言としてつぶやく」ということになる。
言葉をもらったほうが嬉しいのだろうか。
いまいちよくわからない。
わたしは?
わたしは嬉しいの?
べつに、プレッシャーになるとか期待に応えなきゃみたいなのはない。わたしは自分の好きにするだけ。受動側としての対応しか身に付いていなくて、誰かに自分からアプローチをするような能動的なことはどうすればいいのかわからなくてこんなことになっているのかもしれない。
経験が少ないから、妄想しちゃうのだろうか。相手が、私の言葉で傷付いてしまう妄想。
自分がそれをもらっても傷付かないとか、それを貰ったら嬉しいとか、そんなんが参考にならないのは、自分のことを信用してないからなのか。本当はそんなことないからなのか。
めんどくさいから、今日も独り言つぶやいておしまいの1日でいいや。
特別どうしてもやりたいことでもないし。独り言の空間に、「応援してる!」って気持ちを置けたら満足の半分くらいにはなるはず。それでいい。相手の力にはならない。自分の気持ちが満ちるだけ。それでいいなら、これでいい。おとなしく、届かない祈りをする。相手のためにはならない、自分のためだけの行動。
気持ちの悪い、最低の自分でいよう。
役立たずでいよう。無能よりも価値のない存在でいよう。ゆえになにもしないのではなく、こうして何かを吐き出す。おそらく毒。キモいひとりごと。
でもそれを聴いてくれる人は優しい人。聖人。ぜんぜんキモくない。ありがとう。
自分を下げて、他者を上げる行為。人によっては嫌な行為。人によっては気分の上がる行為。
ぼくは今日も生きています。ごめんなさい。
ずっといて、ごめんなさい。
でもまだ死なないので、またね
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください