マグロは止まったら死ぬ
エラに水が入らなくなって、呼吸が出来なくなるから
裏を返せば、エラに水が入れば泳ぎ続ける理由はない(捕食されるのはさておき)
私は今止まれない
奨学金の条件は学ぶ意思があること
そんなものないけど、あるふりをしないと家計をさらに圧迫する
なんで?行きたくもなかった大学で私は苦しんでる
そんなことはもうよくて、今はただ休みたいとわたしが言ってる
でも休めば単位を落として成績落として奨学金を切られて親に迷惑をかけるとワタシが言ってる
いやそれだけじゃない、弟妹も奨学金を使えなくなる
なんで私なんかに責任がこんなに乗ってるの
ああそうか、もう成人だった
そうだよね、成人なら全ての行動に責任が伴うのだものね
そうじゃなくても、あの時親族の願いを受け入れる選択をしたんだものね
高卒で働こうとして、「そんなのはダメだ認めない大学行け」と圧力をかけられてそれに屈する選択をしたんだものね
そもそも親族はなんで私が高卒で働こうとしたのか知らない
だって、普通は子供が「親への恩返し兼もう迷惑をかけないため」に働こうとするなんて思わない
高校生や大学生ってのはクソガキであるべきなんだもの、従順で保護者たちへ尽くそうとするなんて想定できるわけない
きっと親族には、受験をやりたくない、それは怠惰に見えたのだろう
そして、今迷惑を返済するために生きてる私は、その返済先の要求を断れなかった
それが止まれない理由
でも、中学生の頃から限界かそれに近い状態で生きてきて、高校は1日たりとも休まなかった
その反動をいま食らってる、今こそ歯を食いしばらないといけないのに
鬱病になった原因は取り除かれることなく残り続けてる
「自分の存在が世界の損失である」ってね
私の存在を肯定するのは、親の愛と、親への借りを返すべきという理性の声
親の愛は⋯いや率直に言っちゃえ
私は人間の生物的な愛だと思ってる
人間は概ね、産んだ子を無条件に愛する
ではその無条件を抜けば?私は愛されるに値しないだろう
家族との絆は、血の繋がりだけだ
それがなければ、私は愛されない
そしてこの愛は、私である必要はない
ここにいるのが発達障害ASDの無能で無価値で無駄に育成コストがかかるくせに成果を出せない私じゃなくて、親の優秀な形質を受け継いだ天才だったらきっとより大きな愛と、「その人だから」の愛を受けただろう
私は、立場上親の愛を享受してるだけ
ここにいるのは私であるべきじゃない
昔からそう、産まれてくるのが私じゃなければ家族はもっと良いものだったはず
でも生まれて愛を注がれたからには報いないと
これ以上迷惑をかけないようにしないと
生きてるだけで負債を産むなら、生産してそれを返済しないと
だから、止まれない止まっちゃいけない
マグロはいいなぁ、だってエラに水流が流れ込むなら、止まってもいいんだもん
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