その昔、兄から包丁を向けられたことがある。
私は当時まだ4歳かそこらで、その時のことは正直あまりよくは覚えていない。
4つ上の姉と抱き合って部屋の隅で固まっていたことは記憶にあるが、恐いとは思っていなかった気がする。
ただ、私より7つ上で小学校も高学年になり体格なんてほとんど同じくらいになった兄を必死に止める母の姿だけをよく覚えている。
その事件から、もう軽く20年が経った。
先日、母の3周忌に帰省したのだが、その時父からこの事件の周辺のあれこれも聞かされた。
父は祖父の体が弱かった関係で16歳から一家の大黒柱として1人頑張って来たような人なのだが、末っ子の私ももう十分に大人になったことで気持ちが緩んでふと零してしまったのだと思う。
姉は、多分知らないのではないだろうか。
その事件からすぐ、私は姉と共に母に連れられ、10年に渡って母の実家で暮らしていた。
詳しい理由は教えられていなかったが、幼いなりに兄の状態を考えて妹達が一緒に暮らすのは難しいと両親が判断したのだろうと思っていた。
しかし、父が言うにはある日仕事から戻ると家がもぬけの殻になっていた(兄を除く)というのだ。
私の両親は非常に仲が良く、母の実家で暮らしていた間も父は頻繁に会いに来てくれていたので、これには非常に驚いた。
未だ独身の私には分からないところもあるのだが夫婦には色々あったようで、子供たちのことについて日々話す中で言い過ぎてしまったり、とにかくそういうことがたくさんあった末のことらしい。
初めて聞く話に「びっくりだよ〜」とか末っ子として求められているだろう深刻ではないような雰囲気で何とか返事をしたが、私はうっかり泣いてしまいそうになった。
ところで、私は母が亡くなったばかりの頃、父から教えられたことがある。
「ママは子供は2人で十分だって3人目は考えてなかったんだけど、パパが何回もお願いしたんだよ」
私はかなりのママっ子で母のことが大好きだったし、今思えば母のメンタルケアみたいなこともしていたように思えるから、勝手に母も私の誕生を待ち望んでくれていたのだと思っていた。
でもそういう訳でもなかったらしい。
その時は母の死が衝撃的すぎて、そのことに対して悲しいという感情が割かれることは無かった。
でもこの数年、ふとした瞬間に父の言葉を思い出しては考え込んでしまうことがあった。
私があんなに付き纏って甘えていたのが、本当は負担だったのではないかと思ったりもした。
父からは強く望まれていたという事実はあったにせよ、子育てのほとんどは母が担っていたという事実がある以上、私は母にとって必要だったのか、ということは私の胸の中にずっと影を落としていた。
だから母の実家で暮らすようになったあの日のことを聞いて、私は少し救われるような気持ちだった。
父には非常に申し訳ないのだが。
もしも私が迷惑なら、あの日に私も家に置いて出てしまうことも出来たのに。
まだまだ手のかかる小学生の姉と未就学児の私を1人で育てる覚悟で一緒に実家に連れ帰ってくれたのかと思うと、なんだか亡くなった母の愛情を今になって得られたようで涙が出てしまった。
生きている時に溢れる程たくさんの愛情を貰っていたはずなのに、亡くなってからそれが手元に届かなくなった途端些細な一言で心をかき乱されて、馬鹿だったなと思う。
私は間違いなく愛されていたのに。
お母さんに会いたいなあと思って、今日も涙が溢れてしまう。
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