中学生のころ離婚して出て行った父親の存在に、30歳を超えた今でも悩まされています。
一緒に暮らしていた頃から嫌悪感はありましたが、子供の私は家庭がピリピリするのが怖かったのでご機嫌をとって過ごしていました。
出て行った時は正直、もう楽になれる。と感じました。
もう会いたくなければ会わなくて良いんだ、自由になれるんだ、と。
でも違いました。同居時機嫌をとっていたからか、私が父に嫌悪感を抱いていることは、本人には伝わっていませんでした。
月に一度は届く、どう反応すれば良いのかわからないLINE。通知が来るたび私の心臓は跳ね、話したくない、返信したくない、関わりたくないと悶々。誕生日や年始なんかは連絡が来ること100%。いつしか楽しみではなくなり、怯えて過ごすようになりました。
より具合が悪くなった連絡は、ご飯のお誘い。今は本当に忙しい。これで今までなんとか避けてきました。
でも今回、久しぶりに来たお誘いLINE。
いつも通りの方法は通じませんでした。
「私(父)は」会いたい。から貴方(私)にも会いたいと思ってほしい。とのこと。反吐が出る。父にとって私の人権などない。
自分の意思で家を出ておいて、自分が寂しいときはいつでも会える、話せるなんて都合の良いことがあるはずない。
同居の頃からずっとそうだった。父は自分の思う通りにならないことが信じられないのだ。
なぜそんな人に会いたいと思えようか。
冷静に文を打っているが、正直もう、関わらなくて良いように、自分の人生を終わらせるのも手かと考え始めた。
先に行くのは母には悪いが、母に父の事を相談して悩ませる方が辛い。
父がさっさと行かぬなら、もうこうでもしないと解放されない。
父親を尊敬したい人生だった。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
我慢しなくていい
あなたを殺さないで
簡単に言うなって思うかもしれないですが
もっと吐き出していい
私も親が嫌いです
いまでも殴られたときの夢を見て、うなされます
本人は知らないでしょう
それでも共通の趣味を見つけたり
極力関わらないようにして一応はうまくいってます
あなたにもそうなれとは言いません
ただあなたが一人で苦しむ必要はないです
あなたの心が休まる場所がありますように
名前のない小瓶
私は、母に対してほぼ似たような感じでした。
限界に限界を重ねて、無理のラインをとっくに超えてなお、身体が悍ましさに全力で拒否反応を示していても、機嫌をとる返事を毎回防衛本能で送ったりしていました。
だからあなたの気持ちすごーーーーくわかります。
いやなら切ればいいという単純な話じゃなくて、私の場合は本能的な命の恐怖と結びついているのがきつかったです。
私も同じように、死ぬかどうするかのところまで追い詰められました。で、実際死ぬか親を拒絶するかのほんとうに二択になった時、私は後者を選びました。
「私はあなたから連絡が来るたびにとても苦しかった。あなたの連絡を受けるたび、幼少期を思い出して〇〇、〇〇、〇〇のような症状がでる。あなたの気持ちに応えられないのは私も心苦しい。だから心の治療を受けようと思う。治療が終わるまでは連絡しないでほしい」とはっきり文章にして送りました。(実際トラウマ治療を受けています)
相手を悪者にしない書き方が功を奏したのか、それから連絡はきていません。
私は「いや、私の大切な命を、あのゴミのせいで捨てるのは違うやろ」の気持ちで生きています。
できたらあなたにも生きてほしいなあ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
▶ お返事の注意事項