今日、実はほとんどすべての事柄にやる気を持って取り組めてないことがわかった。
やらなきゃいけない、終わらせなきゃいけないという緊迫感のみで勉強もゲームもしていた。
やりたい、と思うのは初めるときだけ。
あとは始めたからには…とか今やらなきゃ…とかの義務感なんだ。
これでは趣味が何なのかわからない。
最近、創作のアイデアも降りてこない。
作りたいものも思いつかない。
やりたいことといえば「今やってるゲームを終わらせること」。
将来についても、大学に行ったほうがいいらしいから受験する、ぐらいの心持ちで進路を決めている。
受動的だ。
能動的に動こうにも意欲がないから何もできない。
やろうと思ったこともデメリットやコストを考えてやめてしまう。
資格もなく、ろくな大人にはならないだろう。
私がおとなになる頃には、私にできる仕事の大半はより有能な人かロボット、あるいはAIがやっているだろう。
なんにもやる気が起きない。
ここにだってとりあえず書いてるだけ。
なにか強烈に依存できるものがあって、それになら時間もお金も体力も惜しまないようになれば、少しはやる気も出るだろうに。
私は引きこもりだがオタクではない。
何にでもない寄生虫。
いや、それは寄生する生物に失礼か。
寄生虫だって一生懸命生きている。
楽して惰性で生きてる自分がそんな彼らと並べるわけがない。
自分を例えられる名詞が思いつかない。
生き物のにしようとも、私が生き物として終わってるから生き物に失礼。
ゴミとかカスだと、まだ活用法がある分自分よりは素晴らしい。
この世の物質はほとんどがどこかで必要とされるものだが、私を必要とする人や機械、法則や生き物はいないだろう。
死体になれば話は別だ。
微生物の食料となり、植物の栄養となる。
もしくは、燃料となる。
生きてる私は必要がない。
私にとっても、今やりかけていることが終わったらこの命だって必要がない。
自殺する勇気も出ず、生きることを諦めているのに原始的な生への執着は立派にある。
欠陥と欠点からできた私は必要ない。
次は生きてるだけで世界に貢献できる、樹木にでもなりたい。