愛するのに努力って必要なの?自然に愛するものじゃないの?努力しなきゃ愛せないならそれは愛してないんじゃないの?
自分で考えてみて少し思った「愛する努力」とは、自分の思っていることを相手にしっかりと伝えることなのかなと思った。いいこともいやなことも。愛する上で弊害になりそうなことあるならしっかり伝える。それを取り除けるのか頑張ってみる。
でもそれって、そもそも相手との関係を構築したいというモチベーションがなければできないことでしょ?
それは「好き」であって「愛」ではない?好きになることと愛を与えることは違うってこと?
心から相手を好きになったとしても、相手に愛を与えることができているとは限らないってこと?
というかシンプルに、みんなはパートナーを愛するために、自分は努力をしている実感ってあるの?
努力していると実感した時点で、もうその関係は限界に来ているのではないの?努力してる実感があったら疲れちゃうでしょ?
色々考えたけど結局、自然発生するものなのか、努力で継続するものなのか、どっちなのかな。
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ななしさん
愛そうと努力して、また愛してもらえるように毎日のさりげないやりとりから。お互い歩み寄って頑張ってみてるけれど。
頑張ってる時点で違うとか。
愛することに努力なんていらないとか。
他と比べる物ではない、とわかっていてもこれが私たちの想いの積み重ね、とわかっているのに、たまにバランスを崩してこの努力が正解かわからなくなる。
でも多分本人を目の前にしたら愛してるなんて口にすれば風で飛ぶほど脆く重い想いを言えずいるのはまだ自分の努力が足りないのだと思う。ふとした瞬間にこぼれ落ちる思いが本物なのかな。
正しいかどうかわからないからお互いまだ毎日たった一言のおはようで、電話で数分文字だけでなく言葉を交わしてるのだと私は思いたい。これはお互いの愛の努力の歩み寄りではないのだろうか。
ななしさん
結婚式での誓いの言葉では、「あなたを一生愛し続けることを誓います」と言います。愛することは努力を伴いますし、意志によって自ら行動して実践していくものだと思います。
ななしさん
愛することは無意識に出来ても
愛を継続する努力は必要かもしれませんね。
ななしさん
恋人や夫婦には愛という概念は実はない。
何故なら愛とは無償の事柄であるからだ。
愛に見返りを無意識ながら求めてしまっているのだから恋人や夫婦にはそれは存在しないと云える。
恋人や夫婦にあるのは、ただ恋しているという感情と、その先にある惰性心、つまり腐れ縁というもので繋がれているに過ぎない。
手放すには時間があまりにも経過しており離すに離せない状況に陥っているだけだ。
これがいわゆる結婚という状態へとなり夫婦という形に変化するだけ。
愛はペットぐらいだろう。
猫は飼い主の思い通りにはならない。
だけど猫を愛してやまない飼い主たちは猫への愛が半端無いのだ。
これが無償の愛。
つまり人間対人間の間には無意識ながらも利害があり、メリットデメリット、見返りというものが存在してしまう。
だから人間同士の間では本来、愛というものは無い。
あるとしたら血が繋がった母親と子供との間だけ。
父親は微妙だ。自分が産んだわけじゃないから愛までとは言えない。ただ自分の子供だから普通の他人よりはちょっと好きぐらいの認識。
(あくまで自論)
RedWine
名前のない小瓶
相手がその人らしくこの世にあることを喜ぶ気持ちという意味での愛は、仰る通り自然発生するものだと思います。
愛する努力というのは、行動としての愛について言われることではないでしょうか。理解しようとすること、怒りを覚えても感情に任せて傷つける言動をしないこと、大きな約束も小さな約束も繰り返し守ること、相手にも非があっても自分の非はちゃんと認めて謝り改善の努力をすること、公平であること、何でも認めるのとは違う優しさを模索し続けること…。一貫して相手の存在・成長にとってプラスとなる言動を心がけ、マイナスとなる言動はなるべくしないようにするということは、私のような小さな人間にはやっぱり努力が必要だと感じます。
でもその努力というのは嫌なことを我慢してやるという感覚ではなく、たとえば楽器の練習のように、好きな気持ちの土台があって向上したいから日々の努力をするという感じでしょうか。ま、偉そうなこと言ってもどちらも毎日はできていないですけどね!
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