人生をもう一度やり直したい。ふとした時にそう思ってしまう。
昔から人付き合いが苦手で、いつもどこかに居心地の悪さを感じていた。
家族の問題もあったけど、両親は生きるのに不自由しない十分な環境を整えてくれた。
それなのに私は両親が与えてくれたものに見合うだけの仕事に就いて経験を積むことはできなかった。失敗を極端に恐れて、逃げてしまったんだと思う。それも一度じゃない。
仕事は非常勤だったけど、専門的な職種で長く務めることができて自分でも納得してるつもりだった。
それでも、長く務めるほど仕事を評価されるほど、非常勤という立場に不満を感じるようになった。
そのためか、仕事と結婚の選択を迫られた時に結婚を選んだ。
でもやっぱり仕事はしたいと思った時、今度は仕事と子供の選択。
仕事を選べば、子供は先延ばしに。
でも先延ばしにして授かる確証はない。
仕事はあまり募集のかからない職種で子供を数年育てた後、同じような仕事が見つかる保証はないし自分も30代半ばか後半になってしまう。
恵まれてきたと思う。
いつも周りの人が助けてくれた。
その代わり自分自身で解決する力を培うことができなかったのかもしれない。
そのせいか、いつまでたっても自分に自信を持てないでいる。時々何もかもが嫌になって過去の失敗に引き戻されてしまう。その度に投げやりな言葉を心に思い浮かべては大切な人を傷つけようとしてしまう。
泣いても現状は変わらないし、だからといってどんな行動を起こせば現状を変えることができるのかも分からない。いつの間にこんなに身動きが取れなくなってしまったのだろうかと、とても心が重くなってしまう。
未来のことを見据えず、全てが中途半端な自分が嫌で仕方なくなる。
弱音を聞いて下さりありがとうございました。
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ななしさん
考えすぎた一歩も 考えなかった一歩も 一歩は一歩
一歩踏み出して歩き出せた人もいれば
一歩踏み出した結果道を踏み外す人もいる
一歩踏み出さなかったから助かった人もいれば
一歩踏み出さなかったから岩に潰される人もいる
結末を知るのは常に結果が出てからです。
弱音を吐いて、次頑張れるならいくらでも弱音を吐いていいと思います。
迷ったなら天に運を任せてサイコロだっていいと思います。
大切なのはたられば、だったらという後悔ではなく、諦めと意識の切り替えでしょうね。
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