寒さに震える季節が来た。例年通りならもっと早くに味わっていたのだが、紅葉と銀杏木の黄金色がすっかり私の心を満たしていたので、この急転直下に降り注ぐ冷風の暴力にはくらくらさせれる。朝日から夕陽にかけてお天道様が微笑んでくれる瞬間だけが、自然の寛容さを享受できるのだと錯覚するが、日が暮れるや否や厳しさの底に叩きつけられる始末だ。いやいや、指先が氷のように固くなり、体中の体温が、大気に吸い上げられていくようで、私のすっからかんなお財布のように、吹けば魂が飛んでいきそうなくらい、凍えてしまう。バランスのとり方が、どうしようもなく極端な季節だ。ぬくもりが欲しい季節において、孤独感は波のように強くなる。電気代をケチるために、日中の暖房を切ってはいるが、暗闇と寒さのコラボレーションは、実に強烈な拷問に他ならない。であればせめてどなたかと過ごす一夜を想像してみる。そう考えてみると、まさしく他者との交流の重要性を嚙み締めるばかりだ。実にクリーンな時代だ。冬の夜は乾燥し鼻はいつにもまして空気を嗅ぎ分ける。貧富のニオイ、寒暖のニオイ、苦楽のニオイ。極端なバランスが可視化されていく。視界は良好な状態だ。しかし目の前の状況にどう対処していいのか、まったくの手段が思いつかない。
勉強が必要だが、何をどう学んでいいのかわからない。なにより、学んだことをどう活かしたらいいのかまったくわからない。見えているはずなのに、見えた気になっている。表面的すぎるのだ。見なければならないのは、それらの中身のはずだ。私は何も知らない。知らないことだらけだ。だからきっと孤独になる。
何年もそれを続けている。停滞する日常は、終わりに近づいているだけに等しい。失われた何年は、気が付けば一生涯となる。私の日常に、だれか大切な人が隣にいる日常を想像したとて、結局は幻に過ぎない。私は学ばなければならない。続けなければいけない。人生の過程の多くが、誤りだらけであることに、気が付いたのであれば、向かいたい方角がそこにあるのであれば、進め。孤独が極寒であるならば、今しばらくはそれを耐え忍ぼう。意志の種は撒かれた。実らない日々は発芽しないからだ。種の殻は固く閉ざされている。割るの必要なエネルギーはどこから来るのか。私は知らないことだらけだ。だから学ぶ。他人は関係ない。他人の目を恐れるのであれば、一時は亀になってもいい。停滞してもいい。ただこの季節を迎え、孤独に悴み、暗闇の中で惑うのであれば、夜空を見上げる。都会の空は仄暗い世界だが、本来の空は瞬いている。そのことを忘れないようにして。朝日を待とう。私にはまだ、手も足もあるのだから、また歩き出せる。ペンを手に取る。手を動かす。私は一人だ。だから迷う。なので惑う。だからこそ、ここに来る。ここで書き下し、明日へと向かおう。馬鹿の一つ覚え。それでいい。だから進め。春を夢見て。
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