共感するわ
自分が一番不幸だなんて思って生きてるやつなんているのかよ
他に不幸な人がいたって、
自分の苦しさをなんとかしたくて
いっぱいいっぱいで
話聞いてもらいたくて相談してるのが普通だよな
一方的に相手をゴミ箱にしてるわけでもない
相手の話も聞いてる
相手の悩みも聞くよ
だってのに
それを勝手に
「自分の方が不幸だって言ってんの?私だって辛いのに!私だって頑張ってるのに!」
と解釈するからややこしくなるんだよな
どっちが不幸か合戦を勝手に始める奴が多くて
うんざりするわ
反対に自分と同じ思いせずに済んだやつ
自分より幸せなやつはいくらでもいる
のにね
もし火傷したくないなら
自分より確実に心から幸せに生きてるやつに相談するのをお勧めします
その言葉が、結果的に辛さによく効く薬だからだと思います。
言い換えれば、「あなたの悩みは、自分で思うほど大したことないよ」ってことでしょう?
ある意味すごく安心できる言葉でもあると思うんです。ちゃんと解決できるから大丈夫だよ、あなたにはその力があるって、客観的に見て判断されたようなものだから。
辛い時って、本人は苦しくて苦しくて仕方なくて、自分は世界で1番不幸だとか、もう死にたいとか、思い詰めてしまいがちです。
でも他人から見れば、その人は人生を揺らすような致命的な失態があったわけじゃない。落ちこぼれてもいないし、まだまだ余裕で挽回できる。
他人に「大丈夫」と言われるのって、安心できることだと思うんです。
私は、辛さは差別されるべきではないと思いますが、ジャンルの違いはあると考えています。
極端な話だけど、身内が亡くなった人に対して、「もっと辛い人もいる」なんて言いませんよね。それはその不幸が本人には防ぎようがなかった、そしてもう取り返しがつかないことだからです。
こういう時には小瓶主さんの言うように、ただ辛さを受け止めて寄り添って、痛みを分かち合いたいと思う。
でも、時には突き放す方が解決に繋がるジャンルの辛さもあります。部活で練習が辛いからやりたくないという人に、ただ寄り添っているだけだったら、その人は練習を頑張ってる同じ部の人とどんどん差がついて、どんどん惨めになっていくだけです。慰めより同情より「まだまだやれる!頑張れ!」と言うべき時も、あると思います。
だから厳しい親や監督のもとで辛い思いをしても、後になって「あの時叱ってもらえて良かった」と思う人がいるんです。
優しく包むだけで解決しないことは多いです。叱咤激励すべき時にしない事は本当の優しさでなく、その人の可能性を閉ざしているようなものだと思います。
憎まれ役をかってでも、よりよい道に行かせようとしてくれる人の方が、信頼できる人だと思います。