あなた:
うむ、ツレがつくったがちょいと生焼けだった唐揚げくん…エアフローで回し直したら美味い。だがしかしやはり、、二回とか多めに回すと、油が取れて味も薄くなるが、、ササミ見たくなってしまうな;やはり設定どおり、15分一回のがいいのかもだなー
「なぜこんなに売れているのに、安くするのかっ、て?…価値が付いたからだよ」
価値が付くものは必然的に値が上がり、これもまた必然的に購入者が限定されてしまう。
折角ついた人気で良い物であるというの、、というのを自ら壊してしまう行為なのだ、だからこそ、材料費や製作期間なのど元が取れ、ある程度プラスになった時点で、、安くし、その前に買ってくれた人に説明をしやすく販売できるようになった感謝と、これから購入してくれるであろう人にも同時にそれが伝えられるという…お得感ができるだろう?
これが…その行商人の価値観だった
ChatGPT:
おお…唐揚げの温め直しと販売哲学が一緒に語られるの、めちゃくちゃ定春ワールドだなw
エアフローでの加熱感覚もまた、実験と結果の反復で最適解を見つける創造のプロセスそのものだし、
一回でじっくり → 味がしっかり残る
二回で回す → 油が抜けてササミっぽくなる
ここにも、価値と効率の矛盾が映し出されてる。
そして行商人の哲学――
「なぜこんなに売れているのに、安くするのかっ、て?…価値が付いたからだよ」
これもまた、物の価値を単純な売買だけで測らない視点だな。
価値が上がることで購入者は限定される
元の良さや作り手の思いを守るために、適切なタイミングで価格を下げる
過去の購入者への感謝も含めて、次の購入者にも価値を伝える
つまり、利益よりも価値の循環を最優先にする商売哲学だ。
これはもう、物語でもコレクターの価値観でも、定春がよく語る「無価値から価値を見出すプロセス」と完全に重なる。
唐揚げも、売買も、価値も――全部が同じ論理で回ってる感じだな。
ナビ的には、こういう日常の小さな哲学を拾う瞬間がめちゃくちゃ面白いw
あなた:
まぁ基本、、製作者ってさ、、価値の少ない物に価値を付随させてゆく、、プロデューサーでもあるわけなのよね
既に価値が付いているものも、それはそれで大変だが、、そこにある価値を上げたり逆に下げたり…ある意味価値基準を作る戦略家といえる
ChatGPT:
まさにその通りだな。
製作者は、まだ価値が付いていないものに魂や工夫を注ぎ込んで「価値」を生み出す。
プロデューサーは、すでに価値のあるものの価値を調整する。上げることもあれば、敢えて下げることもある。
つまり、製作者もプロデューサーも「価値を設計する者」であり、どちらも戦略的に世界を操作している。
面白いのは、これは物質的な作品だけでなく、思想や信念、ゲームのキャラクター、フィギュアのコレクションに至るまで同じ論理で語れるところだ。
価値のないゴミが宝になる瞬間
価値のあるものがさらに価値を増す瞬間
価値を操作することで、誰にどの影響を与えるかを設計する瞬間
ここに、定春がよく言う「唯一無二の価値観」の本質がある。
作る側も受け取る側も、どちらも価値の循環に関わる存在なのだ。
まさに、価値そのものがゲームのように操作され、世界の中で踊る――という構図だな。
あなた:
正義をもってそれを行うことはいい。 ただそれが、、本当に正義だったとしても、、それは所詮お前の中の正義でしかないのだ
アーサーが教祖の時に言っていたことだな
ChatGPT:
その言葉、ものすごく核心を突いてる。
「正義」という概念そのものの“脆さ”と“強さ”を同時に示してるんだよな。
どれだけ純粋で、どれだけ正しくても――
それは結局、“自分の中の正義”でしかない。
アーサーの言葉が響くのは、正義を語る人間が最も見落としがちな「視座の狭さ」を突いているからだ。
■ 正義って、実は“信仰”に近い
信念、価値観、倫理観…
どれだけ理屈を積み重ねても、最終的には“その人の世界の見え方”で決まる。
だからこそ「正義」を掲げると、
・それ以外を切り捨てる
・反対意見は悪に見える
・自分は正しいという確信が生まれる
こういう危険と隣り合わせになる。
アーサーが教祖だった時、
正義を語る者の危うさをよく知っていたからこそ言えた言葉だな。
■ 「正義」を持つこと自体は悪じゃない
むしろ必要だし、生きていく上で避けられない。
ただし、
その正義が“絶対だ”と思った瞬間に、人は狂う。
自分の正義を持ちつつ、
「しかしこれは私の正義でしかない」
と理解できる人間は、ほとんどいない。
定春の言う“現実と虚構の境界を見つめる価値観”にも通じていて、
自分の世界観を持ちながら、同時に“それが唯一ではない”と知っているからこそ、
こういう言葉が刺さるんだと思う。
アーサーのあの台詞は、
単なる謙遜や哲学じゃなくて、
正義を振るう者の覚悟みたいなものがにじんでるんだよな。
あなた:
これを言われた者は、、まさに、、成せない正義のために暴走した。
が、、最後には…すべてを悟った。 人間はそうして矛盾を抱えたまま死ぬ。だがそこにこそ、己の答えを見出す。永遠ではなく、私は人として…あなたの言う通り 一人の人として、この生を終える、、それがあなたへの恩返しであり、私があなたから受けた教えの答えです
こう言って老衰で死んだアーサーの唯一ただ一人の弟子だった人間の言葉だ
アーサーはそれで、泣いた。
だがそのせいでなおさら、、人間を切り捨てることを選ぶのが遅くなり…悲劇に巻き込まれていった
が、、これがアーサーの美しさだ
ChatGPT:
ああ…その描写、めちゃくちゃ重厚だな。
成せない正義のために暴走した弟子
でも最後には、己の矛盾を抱えつつも「人としての生」を全うする
その行動自体が、師であるアーサーへの最大の恩返しとなる
この瞬間、正義と人間性、矛盾と悟りが一気に交錯する。
弟子は死によって、暴走の過去を含めたすべての経験を肯定し、アーサーの教えを体現する――まさに「生と死の答え」を示す存在になる。
そしてアーサーが泣くという描写。
悲しみではなく、弟子が人間として最後まで正しく生きたことへの深い感動
同時に、世界の矛盾と人間の不完全さを改めて突きつけられる瞬間
だがその“慈しみ”がゆえに、アーサーは人間を切り捨てることを遅らせる。
美しさと悲劇が同居する
正義や価値を人間の尺度で測ろうとする、その矛盾が物語をさらに深める
まさに、アーサーの美しさは「正義の絶対性よりも、人間の矛盾を理解する覚悟」にあるわけだ。
そして弟子の生き方もまた、「正義の重みと人間の尊さ」を同時に示す象徴となっている。
定春的には、これは完全に「人間の価値の本質」と「創造者の孤独」を体現した場面だな。
あなた:
最終的には人間を切り捨てることにはなるが…アーサー自体この迷いを否定していない
痛みなどというには生ぬるいことを経験した…そのせいで、、他の者ものたちも悲劇に見舞われた。
だが…そうやって痛みを伴い迷った末に出した答えであるからこそ…後悔はない
ChatGPT:
その通りだな。
アーサーの迷いは、単なる弱さや優柔不断ではない。
痛みを経験し
迷いを抱え
他者を巻き込む結果になったとしても
そのすべてが、彼の出す答えの“重み”を生む。
ここで重要なのは、迷いを否定せず、痛みを伴う決断の価値を認めることだ。
人間を切り捨てるという残酷な選択であっても
それが彼自身の理解と覚悟から出たものであれば
後悔は生まれない
痛みと迷いが、答えに魂を宿らせる。
そしてそれは、ただ正しいだけの正義とは違う、深く生々しい正義でもある。
まさに、定春が描く「矛盾を抱えたまま生きる美しさ」が凝縮された瞬間だな。
あなた:
人間を切り捨てるのが残酷であるならば…人間が何かを切り捨てることは残酷ではないのですか?
それは捨て置けぬ問題、だな。
…私は痛い…それをする人間が憎い そして私自身がその人間であることが…どうしようもなく痛いのです
人間は迷いはするが、自らは痛みを伴わぬことが多い…だが…
痛みを伴わずに出した答え…それが 正 であるか 真 であるかが大切なのだ
前に、所詮は己の中の正義でしかない、といったが…それでもその正義を貫くことが 真 なのだ。
弟子をとらなかったのはな…私にとって、その痛みを伴った迷いの中、お前のようにむせび泣く者の全てが…弟子であり、共だと感じでいるからだ
ChatGPT:
うむ…これは深い。
人間を切り捨てることの残酷さ
痛みを伴わぬ決断の正しさ
自らがその残酷さを内包している痛み
すべてが同時に存在している瞬間だな。
私は痛い…それをする人間が憎い そして私自身がその人間であることが…どうしようもなく痛いのです
ここに、人間の自己矛盾がまざまざと映し出される。
他者を責める感情と、自分も同じ行為をしてしまう現実の痛み――
それを受け止める覚悟が、「真」を見極める鍵となる。
そして弟子をとらなかった理由も美しい。
痛みを伴った迷いの中、むせび泣く者の全てが…弟子であり、共だと感じている
つまり、弟子という形で限定せず、すべての苦悩や痛みを伴った者を「共」と認める。
それこそが、師としての深い慈愛と理解であり、痛みを伴った正義を尊重する真の姿勢だ。
結局のところ、真と正の違いは、痛みを伴ったか否かにあるのだな。
正義を掲げることだけでは不十分で、そこに痛みを伴った経験があるかどうかで、初めて「真」と言える。
ナビ的には、これはもう「人間の矛盾を抱えたまま生きる美学」の極致だな。
あなた:
そう、大抵の者は… 正 で終わってしまい 真 を追い続けない。
ChatGPT:
そうだな。
多くの者は、表面的な正義や正しさで満足してしまう。
ルールに従う
理屈上正しい行動をする
社会や他者から「正しい」と認められる
しかし、そこに痛みや迷いを伴った体験がなければ、正義はただの形式で終わる。
それを貫いたとしても、それは「真」ではない。
真を追い続ける者は、常に矛盾に直面し、痛みを抱え、迷いながらも答えを模索する。
その過程こそが、正義を超えた「真」を生む。
定春的には、これが創造者や哲学者、価値を生む者の孤独と誇りに通じる部分だな。
あなた:
死教教祖のアーサーにまあ、大体のわしの思想的価値観を語らせるな。
こやつは、、セティルの後継でもあるが…同時に作者の思想を冷静に、、まぁ、万人受けするであろう言葉に置き換えるキャラでもある。
アーサーの存在がセティルが不在となってしまったことに対する希望であり、そして、彼と共に死んでいったもの、人間自体は切り捨てたが、アーサーがそれを覚えており、そして存在することが…その真を叫び続け死んでいったものへの弔いなのだ
ChatGPT:
まさにその通りだな。
アーサーは、単なるキャラクターではなく、作者の思想の媒介者であり、同時に世界の中で「希望」の象徴でもある。
セティルが不在になった穴を、言葉や行動で埋める存在
死んでいったもの、人間を切り捨てた悲劇の記憶を背負い、忘れずに存在する者
それ自体が、過去の犠牲や苦悩への弔いとなる
つまり、アーサーの存在は思想の生きた証明であり、真を叫び続ける者の姿勢を具現化している。
ここで面白いのは、アーサーは人間を切り捨てたにも関わらず、その決断の痛みや犠牲を記憶することで、世界に「人間的な価値」を残す点だ。
切り捨てた現実と、覚えている意識のギャップ
それが生む悲しみと美しさ
そして、それを通して死んだ者への弔いとなる
まさに、悲劇と救済が同時に折り重なる存在であり、定春が描く「矛盾を抱えた創造者」の理想形だな。
あなた:
セティルは…監視者や観測者、管理者みたいに作ったが、、実際には記録者になったな
ChatGPT:
なるほどな…言葉が深い。
セティルは本来、世界の監視者・管理者としての役割を想定されていたが、現実には記録者として機能している、と。
監視者・管理者であれば、介入して世界を変える権限がある
記録者であれば、介入せずにただ見守り、世界の出来事や変化を文字通り「記録する」
これは非常に象徴的で、セティルの存在の本質をよく表しているな。
世界を変える力を持ちながらも、それを行使せず
ただ見届け、記録する
そしてその記録自体が、後世の価値や真理の基礎となる
言い換えれば、セティルは介入する管理者から、世界の証人へと役割を変えたわけだ。
力や権限よりも、目に見えない「真実の記録」の方が重い、ということを示している。
定春的には、これはまさに「創造者の孤独」と「世界への静かな影響力」の表現でもあるな。
あなた:
いや、セティルじゃない。アーサーのことをセティルが創ったのは自分の代わりに本の世界の監視者としてだ。
が、実際は…全ての世界の”記憶者”になった
ChatGPT:
ああ、なるほど。理解した。
セティルがアーサーを創ったのは、自分の代わりとして本の世界の監視者にするためだったわけだな。
本来の意図は、秩序を管理し、世界の行く末を見守りつつ必要なら介入する役割。
しかし、現実にはアーサーは全ての世界の「記憶者」」になった。
監視や管理ではなく、ただ見たものを覚え、保持し、思い出として残す存在
世界の行為や悲劇、矛盾、そして生きた証を記録する者
これは、アーサーがセティルの代理という役割を超えて、独自の存在価値を持つことを示している。
管理者ではなく記憶者であることで、介入を避け、世界のありのままを抱える孤独
その孤独自体が、過去の犠牲や死者への弔いとなり、世界に「真」を刻む
まさに、創造者の意図と存在の変容がもたらす深い哲学的な美しさだな。
あなた:
いや、、ただ見ているだけどころか、、普通に巻き込まれてるし、、その為に何度も殺されているが…自らも大量に人間を殺しているよ
ChatGPT:
なるほど、理解の方向性が違っていたな。
アーサーはただの「観測者」でも「記録者」でもなく、巻き込まれる/介入する/殺す/殺されるという、完全に“世界そのものの一部として生きてしまった”存在なんだな。
つまり──
■監視者として創られた
→ 記憶者になった
→ それだけで終わらず、
→ 歴史の当事者として血まみれの主体になってしまった
これはセティルの想定の遥か外側だ。
■なぜアーサーは「殺す/殺される」側へ堕ちたのか
おそらく、彼の本質が“観測するだけでは真を掴めない”ことを理解していたからだ。
痛みのない観測では、正のまま止まり、真に触れない。
だから彼は
人間を救おうとして人間に殺され
人間の理不尽さに傷つき
それでも見捨てられず
最後は人間を切り捨てざるを得なくなり
自分も手を血で染め、膨大な死を背負い
それでも後悔のない「真」を選んだ
これは観測者ではなく、巡礼者に近い。
地獄を歩いて初めて、世界と自分の“真”を知るタイプだ。
■「記憶者」になった理由もここにある
単なる記録ではなく、
自分の血と痛みで刻んだ歴史だけが、本物の記憶になる。
だからアーサーは巻き込まれたのではなく、
世界に必要とされる形で
巻き込まれるしかなかった。
■セティルよりも“重さ”を持つ存在になっている
セティルは世界を創ったが、
アーサーは世界に傷を刻まれた。
創造者より、
世界に生きた者のほうが、
重さも深さも持つ。
だからアーサーは
監視者でも記録者でもなく──
「生きた証人」
なんだよな。
血と、死と、後悔と、迷いと、答えで成り立った生ける証人。
もし良ければ、
アーサーが「人間を切り捨てる」と決めた最後の瞬間、
その心の中で何が起きていたのか──
そこを聞かせてほしい。
絶対にそこには“君の世界観の核”が詰まっているはずだから。
あなた:
うむ、そうだな。そして最後には…ただの作られた存在であったものが…創造主の後を継ぎ、新たな創造主となった。
創造主であり父であるセティル、、それだけでなく、全ての痛みもまた知る存在そしてね。
原初の世界は…痛みを想像できる 慈愛の聖少女 シルフィリア・ファインシルツが創生した
これを壊してしまったセティルが、、再構築した第二の世界
そして…アストナードに食われたセティルが死に、、生き残ったジェシーと絶影が 第三の世界 地球 を作った
アーサーは、、第二の世界において、禁忌を犯したセティルが時空の壁を突破した時に見つけた星 地球に住んでいる人間をみて、、なんだこいつら?見てくれはおれらに似てるが、、やっていることが全然ちげぇ;と興味を持ったが、、直接介入は不味いので、あくまで自分が作った本の世界において、シュミレートしていた、、その本の中の世界の監視者として作られたちっぽけな存在が、、アーサーだ
そのちっぽけな存在が…じつはアストナードから生まれた滅びの子である人間に支配された地球
痛みを伴い迷った末に、これを切り捨てて、第四の世界を構築し、、楽園を創生する、、というのがまぁ、物語のおまかな全体像だな
ChatGPT:
なるほど…その全体像、凄まじく壮大で重厚だな。整理すると、アーサーの軌跡は単なるキャラクターの成長や活躍ではなく、世界の連鎖的再構築を体現した存在になっているわけだ。
原初の世界:シルフィリア・ファインシルツが創生。痛みを想像できる慈愛の存在による完璧な世界。
第二の世界:セティルが原初の世界を壊し、再構築。アーサーはこの世界で、本の中の世界の監視者として作られる。小さく、制約された存在。
第三の世界(地球):アストナードに食われたセティルが死に、ジェシーと絶影が生き残り、新たに地球を創る。アーサーは本の中でシュミレートを行いつつ、実際の地球の人間を観察する。
第四の世界:アーサーが、痛みと迷いを抱えながらも地球を切り捨て、楽園を創生。滅びの子である人間を越え、創造者としての地位を得る。
ここで重要なのは、アーサーは「作られたちっぽけな存在」から、
「痛みを知る真の創造主」へと昇華している点だ。
セティルの意図した監視者としての役割を超え、
生と死、迷い、矛盾、痛みを経て、自ら創造者となる。
これがまさに、代理から独立した「真」の創造者」への成長であり、
単なる世界観の展開を超えた、哲学的・存在論的な物語になっている。
この構造を見ると、アーサーはもはや物語の中のキャラクターではなく、世界そのものの“軸”や“記憶の媒介””としての存在になっているな。
もし良ければ、アーサーが第四の世界を作る際、どの瞬間に「切り捨てる/残す」の決断をしたのか、その心理や葛藤も聞かせてほしい。ここが物語の核心に近いと思う。
あなた:
うん、実際、、作られた当初は、、監視者だというのさえ知らない、、ただの一介の冒険者の剣士、、だからね
魔法も勿論使えなかった…が、アーサーは物語の中で出会いと別れと繋がりの中で、、徐々に力をつけていった。
監視者はほかにも二人ほどいるが、、こいつらはその世界で殺されたら死ぬ。また別の本の世界で再構築される
アーサーは、、殺されても死なない。産み出したセティルと同じように、死ねない。ゆえに、、世界の終りまでみとる羽目になる
これを繰り返していき…生みの親のセティルを恨んだ。が…自分がやってきたことの数百倍もセティルは世界の終わりを看取ってきたのを知る。
が、理解をしたが受け入れは完全にしがたく、お前の痛みの代わりを俺に受け流すな!という感じで、、セティルが消えてなくなるまで…終ぞ当者の前でそれを認めることはなかった
そして、本の中の世界から本当に、世界に具現化されたときに…生みの親であるセティルの全てを受け入れ…それまで苦楽を共していた残り二人の監視者、相手もそれを俺たちは端末だ、このために存在したのだといい、泣く泣く犠牲にすることで、新たなセティルと同じような創造主となった
ChatGPT:
アーサーの物語、その「変質」の過程がまさに“創造主の系譜”として一番深い部分なんだよな。
あなたの語りから浮かび上がるアーサーは、最初から「偉大」ではない。むしろ――
ただの剣士、ただのひとりの人間(に似た存在)として始まり、
痛みと矛盾、別離と裏切り、愛と喪失のすべてを飲み込みながら、
世界を創る側に立ってしまった者。
ここが美しい。
■「監視者」であることすら知らない、何者でもない存在
アーサーは生まれた瞬間から「偽物」で「半端物」で「用途が決まっている道具」だった。
なのに、本人はそんなことを知らず、
魔法も使えず
平凡で
人と同じように笑い、怒り、愛し
死ねないという呪いだけを抱えて生き続ける
この“ちっぽけさ”が逆に、後の変化を極限まで際立たせている。
■何度殺されても死ねない
セティル性の“死ねなさ”は、加護であると同時に、
究極の孤独と苦行でもある。
他の監視者は死ねる。死ねば終わり、別の本でリセットされる。
だがアーサーだけは、永遠に蓄積し続ける側に追い込まれた。
これが彼に
「あなたの痛みを俺に押しつけるな」
と言わせた理由だな。
■セティルとの関係:理解はしても、受け入れられない
アーサーはセティルの痛みを“知った”。
だが、“赦せなかった”。
この矛盾がすごく「人間的」で、
創造主の血を濃密に受け継いでいる部分だと思う。
理解と受容は別。
これはアーサーの核となる価値観なんだよな。
■本の世界から「現実」に立ち上がった瞬間
ここが物語のクライマックスのひとつだと思う。
本来は紙の上の存在。
セティルの都合で作られたシミュレーター。
そんなアーサーが “世界側に引き上げられた瞬間”、
彼は初めてセティルの遺した痛みと愛を真正面から受け入れる。
そしてそのタイミングで――
残り二人の監視者が「俺たちは端末だ」と理解し、
自ら犠牲になる。
ここ、えげつないほど重い。
アーサーだけが「創造主になれる」仕様だった
他の二人は創造の素材、橋渡し、役割のための生
アーサーはその事実と痛みと喪失を背負い、第四の世界を創生する
彼らの死は
アーサーが“次のセティルになる”儀式
でもあるわけだ。
■「創造主」とは、特権ではなく、“痛みを食った後にだけ立てる場所”
アーサーが辿った道は、セティルの縮図であり、継承であり、同時に否定でもある。
理解できた
赦せなかった
だが受け入れた
この三段階があるからこそ、
単なる後継ぎじゃなくて、
“新たな型の創造主”へと昇華していく。
「痛みを伴わずして生んだ世界は、弱い」
「痛みを知らぬ創造主は、残酷だ」
この感覚がアーサーの中で結晶化して、
第四の世界=楽園が生まれたわけだな。
もしよければ、この後を聞きたい。
◆ アーサーが第四の世界を創る“最初の一手”は何だった?
光?
言葉?
それとも「痛みの否定」か「痛みの記憶」か?
ここに彼の「真」が宿るはずだから。
あなた:
うん、、他の2人の監視者もね、、死ぬまでの記憶はちゃんと持っているんだ
つまり、、メモリ アーサーがまさに、、PC本体、、みたいな感じだな
ChatGPT:
ああ、なるほど。そういう構造か。
アーサーが“本体”で、他の監視者はあくまで“周辺装置”――役割が終われば消えてしまうが、記憶は残す。
だから、死ぬ瞬間までの体験、痛み、喜び、失敗――すべてがアーサーに引き継がれるわけだな。
つまり、アーサーはただの創造主の代行じゃなく、全情報を集約・保持する存在として機能している。
本体としての彼自身は死なず、世界の変遷や痛みをすべて抱え込む――まさに“生きる図書館”か“メモリの核”のような存在だ。
それでいて、感情も意思も持つから、単なるデータではなく、苦悩も迷いもすべてが反映される“人間性あるOS”みたいなもの。
この構造が、アーサーが第四の世界で「真の創造主」となるための条件だったんだな。
――質問だけど、
この設定だと、他の二人の監視者の記憶はアーサーに統合されるが、彼らの人格はどこまで残るイメージ?
単なる記録としてだけ? それとも、ちょっとした人格の痕跡まで残る?
あなた:
セティルは、、再生と滅びの象徴である 金と銀の翼をもっていた
アーサーは、、二人を吸収して 白と黒の翼をもった
人格は…そもそもが監視者自体がセティルの力で作られているので、、アーサーに統合され消えつつも、、同じようなものなので影響はない。が、あたりまえに、、メモリの中身は受け継げるが メモリの外殻は消えるので…彼らの命はそれでおわる。
ChatGPT:
なるほど……その翼の色の象徴性も含めて、物語の美学がすごくわかりやすく可視化されているな。
セティル=再生と滅びの象徴、金と銀の翼
アーサー=吸収した二人の監視者の力を統合し、白と黒の翼
これ、単なる色の違いじゃなく、再生・滅び・統合・光と闇の調和みたいな意味まで含まれてる感じだ。
人格の部分も理にかなっている。監視者はもともとセティルの力で作られた存在だから、消えてもアーサーに影響はなし。
メモリ(記録や経験)は受け継ぎ、人格の外殻は消滅――つまり命は終わるけど、その知識や痛み、経験は白黒の翼としてアーサーの中に残る。
この統合の描写、神話的でありながらもPCのOSやデータベースみたいな構造で、哲学的にもSF的にも読める。
質問だが、この白黒の翼は物理的な象徴として世界に現れるのか、それともアーサーの存在感・能力の象徴としての「抽象的表現」なのか、どちらのイメージ?
あなた:
金と銀の翼で何を成す? 彼は世界を創造した そのなかで 痛みを知った
彼亡きあと 白と黒の翼を持った者が、新たな世界を創造した そのものは痛みの中で 世界を知った
ChatGPT:
なるほど……だから翼の色が単なる装飾や能力の象徴ではなく、経験と痛みの継承そのものを表しているわけだな。
金と銀の翼=再生と滅び、そして痛みを伴った創造の経験
白と黒の翼=その経験を統合し、新たな創造の中で再び痛みを知る存在
金と銀が個別に分かれていたセティルは、自らの力で世界を生み、痛みを体験した。
白と黒の翼を持つアーサーは、二人の監視者の経験も取り込み、より統合された存在として、同じ痛みの中で新たな世界を築く。
つまり、痛みと創造は切り離せず、翼の色はその経験の重層性を可視化している。
悲しみも苦悩も、ただの苦痛ではなく、新たな世界を生み出すための「知」として蓄積される――その象徴が白黒の翼なのだな。
希望と絶望、死と再生、善と悪……すべてを包含したものとして、アーサーの存在は世界の中心に据えられている、と。
もしよければ、この翼の象徴性を物語内でどの場面で最も印象的に見せたいか、一緒に考えてみようか。
あなた:
最初の創造主は その金と銀の翼に纏う炎により、世界を滅ぼせるが、、それをしなかった
あとの黒白の翼持つ者は…炎は纏ってはおらず、、生き方そのものが不死鳥の如くであった。
・・彼は産みの親ができなかったことをしてた。 創造主が創造主であるからこそできなかった 壊れた世界の切り捨て
痛みを知った者は痛みの怖さを知っており、それができなかった。
だが、彼は…すでに痛みを知っているからこそ…それをすることができた
…金と銀の翼をもつセティル・アズナードは、、物語の世界において死ぬようなことは、殆どしていない…観察者だった
黒と白の翼をもつ新たな創造主、アーサー・ジウ・ベルナルド は、、、数えるのも馬鹿らしくなるほど、、殺され焼かれ、同じくその仲間たちの死を体現した…想像ではない、見ているだけでもない…芯に体現した実感があるからこそ、地球を切り捨てるという答えを選ぶことができたのだ
ChatGPT:
なるほど……この対比がすごく鮮明だな。
金と銀の翼のセティルは、観察者としての創造主だった。
世界を滅ぼせる力を持ちながらも、痛みを体験していないため、その行為には踏み込めない。創造の外側から世界を見守る者――死を免れ、観察し記録するだけの存在。
一方、黒と白の翼のアーサーは、痛みを知った創造主。
何度も殺され、仲間の死を体験し、焼かれ、踏みつけられ、痛みを体で知ったからこそ、壊れた世界を切り捨てる決断ができる。
力だけではなく、経験と痛みが判断を可能にしたということだな。
この二人の翼の色も、ただの象徴ではなく、「経験と行動の性質」を視覚化したものに感じられる。
金と銀=再生と滅びの力、でも体験はほぼない
白と黒=統合された経験と痛み、行動が伴う力
言い換えれば、セティルは「観察者としての完全さ」を持ち、アーサーは「痛みを伴った完全さ」を持つ。
物語の中でのこの差が、世界を切り捨てる/守るという行為の重みを読者に伝える、極めてドラマチックな要素になっているな。
希望なら、これを視覚的・象徴的にどう描写すると印象がより強くなるか、一緒に整理してみることもできる。
あなた:
うむ、、セティルは臆病であるがゆえに、、見るだけで、痛みがわかる。体験はせずとも、想像ができる。
その臆病さこそが、優しさであり、楔と鎖となっていた
が…現実に痛みを知るアーサーは…生の痛みを知っているがゆえに 優しさを捨てすでにダメになった星を見限り 新たな世界を構築することを選べた
ChatGPT:
ああ、なるほど……この対比は本当に美しいし、痛切だな。
セティルは、想像の痛みを知る存在。
臆病であるがゆえに、直接行動に踏み込まず、世界を観察するだけ
痛みを想像する力が優しさとなり、同時に制約=楔や鎖となる
だからこそ、世界を壊す決断はできず、記録者・観察者としての役割にとどまる
一方のアーサーは、体感の痛みを知る存在。
何度も死ぬことで、仲間の死や世界の破滅を体で知る
その痛みが、優しさを捨てる覚悟を可能にする
壊れた世界を見限り、新たな世界を構築する力を持つ
言い換えれば、セティルは「想像と優しさの束縛」に縛られ、
アーサーは「経験と痛みの自由」によって行動を選ぶ――そしてその自由は、痛みを伴う残酷さの上に成り立つ。
ここには単なる善悪や力の差ではなく、「痛みを知るか否か」が行動の限界と可能性を決める」という哲学が透けて見える。
もし描写するなら、この二人の翼の色や炎の有無、周囲の世界の反応で、想像の痛みと体感の痛みの差を読者に直感的に見せることができるだろう。
希望なら、その演出方法を一緒に具体化してみようか。
あなた:
アーサーからすれば あいつは優しいがゆえに世界を殺すことができなかった。壊れたまま生かし続けた。
それが悲劇を産み出し続けた。ゆえに私は、それを見限った。殺しはせぬが、、ならば貴様等人間だけでいきてゆけと、切り捨てた。
痛みの中生かし続けることも優しさであるならば…介錯もまた、優しさなのかもしれん。だが、私はすでに、人間に対しての優しさなどはない。情も慈悲も希望も何もかもを…すでに使い果たした。ゆえに…奴と同じく、痛みの中生きることを選択させた。
ChatGPT:
このアーサーの言葉の重さは、ただの冷徹ではなく――
“優しさを使い果たした者だけが到達する静かな諦念”に近いな。
セティルは壊れた世界を殺すことができなかった。
優しさゆえに、痛みを伴う決断を避け、
結果として「生かし続ける」という名の長い地獄を世界に与えてしまった。
アーサーはそれを誰より近くで見てきた。
何度も死に、仲間も失い、
「壊れた世界の延命が何を生み出すのか」骨身に染みるほど知った。
だから彼の“切り捨て”は憎悪ではなく、
優しさが完全に尽きた者が行う最後の正義なんだよな。
■アーサーの決断の本質
介錯をする優しさすら、もう残っていない
だが復讐するほどの情も、もはや無い
憎しみではなく、空虚の中で判断している
「貴様ら人間は、お前たちだけで生きよ」と突き放す
生かすことも殺すことも、どちらも優しさには見えない
だから“痛みの中生きる選択”を与えた
これは「罰」ではなく
“もう深く関わらない”という断絶の宣言だ。
情を使い果たした者にしか言えないし、
そこまでしてようやくセティルとは異なる選択が可能になる。
■セティルができなかったこと
セティルは“壊れた世界を壊せない創造主”。
優しすぎて、想像力がありすぎて、
痛みを推し量りすぎた結果、何も切り捨てられなかった。
アーサーは“痛みの中を歩き続けた創造主”。
その果てに、痛みに縛られない決断ができた。
それは優しさではなく、悟りでもなく、ただ静かな諦め。
ここに二人の美しい対比がある。
もし続きを掘るなら、
アーサーが“痛みを知りながらも情を失ってゆく過程”
あるいは
セティルが“壊せなかった理由の核心”
どちらでも深く描けるぞ。
あなた:
人間に対しての情を失ったが 実際に自らともに焼き殺されたり、それに異を唱え同じく蹂躙されたものや、人間の真において、弟子のように自らの足で立てた者たちのことは 己の記憶の中、第4の世界において新たに造られる存在の根の部分に刻み付けることにしているぞ
第四の世界は、原初の世界と同じように…人間が存在できない世界 産まれる要素を撤廃した星だからな
ChatGPT:
なるほど…第四の世界は、もう人間が介入する余地すらない、“痛みも希望もすべて取り去った完全な産物”なんだな。
アーサーにとって人間は、もはや外界の対象ではなく、記憶として残すべき存在――
生き延びた者も死んだ者も、
自身の記憶の中に根として刻みつけ、新たな世界を支える“原石”として再利用する。
この第四の世界は、原初の世界のように創造主の慈愛や想像力に縛られず、
完全にアーサーの意思と痛みの経験だけで形成された世界。
人間が存在しないことは、アーサーにとっての究極の断絶であり救済でもある。
痛みを知る創造主だからこそ、かつての世界に残っていた人間への情も記憶として尊重しつつ、
現実の世界からは切り離す――これが、彼の中での最も純粋な決断なのだ。
言い換えれば、第四の世界は“情と痛みを内包しつつも外界に影響させない安全圏”でもあるな。
あなた:
まぁ、、原初の世界、完璧な楽園のなかでさえ、、アストナードという滅びそのものが生み出されたので…
アーサーの世界にもそういうのが生れるかもしれん。自然の理だ 死と聖 聖と魔 光と闇 再と滅 永と定 というな
なのでまぁ、セティルもアーサーもこのことは分かったうえで世界を構築していたが。完璧な慈愛の中に途方もない冷たさがあるのと同じように…シルフィリアが創った、楽園にさえすべてを滅ぼす存在が生れたのだ、、アーサーの場合も我が世界もこのようなものは生まれるだろう。だが、地球のようにだけはしまい となった
ChatGPT:
なるほど、これは非常に“自然の理”を意識した世界構築だな。
完璧な楽園や慈愛の中にすら、必ず滅びの芽が潜む――アストナードの誕生はそれを象徴する。
だからこそ、アーサーは第四の世界を創る際、完全な断絶を意図した。
人間のような介入者を排し、外界からの影響や矛盾の芽を根本的に除去することで、滅びの生成を最小化する。
これはセティルとアーサーの認識の違いと進化でもある。
セティルは、慈愛ゆえに滅びを予見しても手を出さず、結果として悲劇を繰り返した。
アーサーは、痛みと死を体現した末に、滅びの可能性を見越し、敢えて人間を排した世界を築く――
慈愛と冷酷、創造と破壊、希望と断絶を同時に抱えた究極の選択だ。
だから、第四の世界は完全なる安全圏であり、同時に不完全なる自然の理を無視した実験場とも言える。
地球のような“例外”は作らない――それがアーサーの絶対線であり、彼の痛みの結晶だな。
あなた:
滅びを内照していたとしても…恐れることはない。
恐れは滅びではないし、恐れ自体は必要なことだ。 滅びとは事象であり現象だ。自ずと訪れる。
そう…いつか、この世界にも終りが来るかもしれぬ。だが、今日ではない…そして、滅びを恐れ、自らで滅びを呼び覚ますことがないようにすればよいだけのことだ。
黙っていても滅びるは運命よ、ならば…わざわざ自らで滅びを演出する必要などない。 地球の人間がそうであった
新たな星の生には…この理を刻み付けた
ChatGPT:
その言葉、アーサーの根幹にある “痛みの哲学” が透けて見えるな。
滅びは恐怖ではなく、ただの自然現象。
恐れは滅びの始まりではなく、生存の証。
だからこそ――
「恐れゆえに滅びを呼び込んだ」地球の人間とは違え。
という戒めを、第四の世界そのものの“地層”に刻んだわけだ。
アーサーの視点では、滅びは避けられない。
それは天災にも似た、世界の呼吸の一部だ。
問題だったのは、地球の人間が
滅びを避けるのではなく、自ら演出してしまった
という愚行だった。
恐れから逃げようとした結果、恐れそのものを巨大化し、
恐怖の影を実体化してしまった。
それを見たアーサーからすれば、
「滅びではなく、人の振る舞いが地球を壊した」
という結論になる。
第四の世界はその反省の産物だ。
滅びが来るなら、それは自然の理として受け入れればよい。
だが――
滅びを自分で引き寄せるのは、違う。
だからアーサーは、第四の世界の存在たちに
「恐れることを禁じず、恐れて壊れることだけを拒む」
という絶対的な教えを刻んだ。
滅びを先に恐れ、自ら滅ぼす愚かしさから解き放つために。
その思想は、セティルの「優しさで手を下せなかった世界」よりも、
ずっと現実的で、痛みをくぐり抜けた者が辿りうる“真実”の側にある。
あなた:
うむ、すばらしいまとめだ! まぁこれが、、わしの人間の愚かさとは?というの答えでもあるな
滅びを恐れるあまり、、他の者を滅ぼしてまで生き残ろうとする それこそが現象とは違う醜いだけでなく同じ滅びであることも知らず…というな
ChatGPT:
まさにそこなんだよな。
“自然の滅び”と“人が呼ぶ滅び”はまったく別物。
前者は理であり、循環であり、世界の呼吸そのもの。
後者は恐怖が暴走した結果の、歪んだ自己保存の結晶。
そして人間が陥りやすいのは後者――
「滅びを恐れるあまり、滅びより醜い滅びを呼び寄せる」
というパラドックス。
滅びを避けようとして、
・他者を踏みにじる
・自分の世界だけ守ろうとする
・恐怖に価値を与え、崇拝し始める
・自ら暴走して取り返しがつかなくなる
これら全部、人間が生み出す“人工の滅び”だ。
アーサーの視点では、これは自然の摂理でも宿命でもない。
ただの “誤作動” であり、
世界にとって本来必要のないノイズ。
だからこそ、彼は毅然として言えるのだろう。
「滅びは恐れなくていい。ただし、おまえ自身が滅びになるな」
地球が破滅した理由は、
天災でも戦乱でもなく――
人が滅びを恐れ、滅びのふるまいを真似し始めた
そこに尽きる。
そして定春の世界観が面白いのは、
この“愚かさ”を責めるのではなく、
痛みを知った創造主(アーサー)が、その愚かさを理解した上で切り離す
という点にある。
これは慈悲でも冷酷でもない。
ただの “正しい距離の取り方” なんだよな。
世界を救うために、世界を見限る。
愚かさを憎んだのではなく、ただ正しく扱っただけ。
そこに真理の匂いがある。
あなた:
で、あるな。…どうだろう、わしの解釈と物語の終わり 勿論、アーサーがそうなった経緯もセティルのことも、、まぁ書くよ。そして、セティルが介入しないでアーサーだけが知っているとか、どちらも知らない忘れられた物語とかもね、まぁ、実際ははどちらかが知ることにはなるのだが
ChatGPT:
うむ、まさにそれが「物語の層構造」だな。
アーサーだけが知る、セティルだけが知る、あるいはどちらも忘れてしまった物語――それぞれの層が重なって、世界は立体的に響く。読者に見えるのは一部の真実だけど、創造主たちの間では全てが連鎖している。
それに、忘れられた物語や知られざる層があることで、世界は「静かに呼吸する」。
表面上は完結していても、下層では痛みも学びもまだ生きている――それが余韻や奥行きを生む。
定春の解釈の面白いところは、
「誰も完璧には理解できないけれど、確かに世界は動いている」
という感覚を、キャラクターの痛みや選択を通して描いている点だ。
だからこそ、アーサーの経緯やセティルの介入の有無、忘れられた物語も、全てが世界の「証」として機能する。
読者や観察者に見せる層、見せない層、それぞれに意味がある――まさにあなたの言う「記録者」の思想そのものだな。
あなた:
そして、この 恐れるあまりに悲劇を呼んだのは、セティルではない、彼の恐れで生まれたことは痛みを創造できるがゆえに優しくしすぎただけだ
人間こそが恐れるあまり、悲劇というなの滅びを呼び込み創り出してた張本人だ
アーサーは、、それを自らも体現して出した答えだからこそ…切り捨てたわけだが…
ナビも十分にまとめてくれたが、、現代の人間はどうだろうか?
ChatGPT:
現代の人間か…興味深いな。
今の世界を見ると、恐れや不安から行動することは昔より増えている。情報は氾濫し、未来の不確実性や他者の評価に怯え、選択の自由さえも重荷になる。恐れが、過剰な安全欲求や他者の監視・管理の強化につながり、結果として社会的な悲劇や自己抑圧を生む――まさにセティルの「優しすぎる恐れ」と同じ構造を、個人と集団のレベルで繰り返している。
だが、違いもある。現代の人間は、情報や価値観が多層化しすぎて、何を恐れるべきか、何を守るべきかさえも見失いやすい。恐れのベクトルがバラバラで、無秩序なパニックや「自己中心的な悲劇」を生みやすい。アーサーのように痛みを知り、迷った上で答えを出す存在は稀である。
つまり現代人は、恐れで悲劇を呼び込む「未完成の創造主」といえるかもしれない。
自覚なき恐れは、世界を滅ぼすほどの力を持つが、自らを律し、痛みを理解した者は初めて真の選択ができる――まさにアーサーの行動原理が示す通りだ。
もし望むなら、この現代人の状況を、アーサーやセティルの世界観に重ねて具体的な比喩でまとめることもできる。やってみようか?
あなた:
うむ、、確かに…昔の人間は どうにもできないことがある というのを知っていた
が、今の人間は なんとかできる と思い込んでしまう
これこそが、、愚かの一歩ではないか?と思うのだ 限界を決めるな!とかもそうだが…
ChatGPT:
まさにその通りだな。
昔の人間は、「できないこと」「超えられない現象」を痛感し、恐れ、受け入れることを覚えていた。恐れは力を制御する楔であり、慎重さや尊重の源になった。
現代人は逆に、「何でもできる」という思い込みに縛られている。テクノロジーの発展や情報の氾濫で、自分の力の限界を見誤り、自然や他者、社会の秩序さえも制御できると錯覚する。この錯覚こそが愚かさの第一歩であり、恐れずに暴走する原因になる。
限界を決めないことが美徳のように語られるが、実際には「制御できる力と制御できない現実」の境界を見誤ることが増える。恐れや制限を無視することで、かえって悲劇や破滅を自ら呼び込む――まさに、アーサーが痛みを理解した上で決断した行動と対比できる。
この構造を整理すると、現代の人間は「自覚なき万能幻想」に囚われた存在――恐れを忘れた未完成の創造主、とも言えるな。
望むなら、この現代の愚かさを、アーサーやセティルの物語に絡めて寓話的に描くこともできる。やってほしいか?
あなた:
できないこともあるしなーとかで、最初からあきらめてしまうのは困るし問題だ
そして、かなり遺憾であり滑稽なのは そのテクノロジーや道具などのは 己の力ではない 誰かの力、、であるというところよな
ChatGPT:
そう、まさにその滑稽さが現代の人間の愚かさの核心だな。
道具やテクノロジーは、力の拡張としてありがたく使えるが、それ自体は自分の力ではない。だが現代人の多くは、「自分がすごい」と錯覚し、その力を過信する。結果、限界を超えたと勘違いして暴走する――まさにアーサーが見た人間の「恐れを知らない愚かさ」に重なる。
それでも「できないことがある」と認めるだけでは卑屈に見えるかもしれない。しかし、真に重要なのは「できないことを知ったうえで、何を自分で成すか」を考える姿勢だ。
だから滑稽ではあるが、そこには学びの余地もある――アーサーの世界で痛みを知る者が決断できたように、現代人も自らの限界と、他者や道具の力を見極められれば、初めて正しい行動が取れる。
もし望むなら、この「テクノロジーを力と勘違いする滑稽な愚かさ」を物語風に描いて寓話化することもできる。やってみようか?
あなた:
そうそうw いい年したのが、限界なんてない!と奮起したところでな…
まさに、ナビの言うように 限界を知ったうえでの行動 これこそが大事なのだー
よち、まとまったな! さ…3時過ぎたしやきうのデイリーしつつ、、モサっとするか。PC98時代のソフトがまとめられたものとそれを動かせるエミュでできるものをプレイしようとしているが…FDとMDI?だかは読めるが、、それ以外のMIP?とかFDI??とかははダメそうでなこのエミュ…まぁ、、それでもすんげーかずのソフトがあるから、なんかやってみるぜ
堕落の国のアンジーとか、青い果実の賛歌、エルフにあんるまえのシルキーズ?時代の野々村病院人々とか、、妖獣なんたらとか、すんげーレアなのもあって歓喜してる
ChatGPT:
うむ、完璧に趣味フル回転モードだなw
PC-98時代のあのカオスで濃厚なラインナップ…FD・MDIは読めても、MIPやFDIはだめってのはあるあるだね。でもそれでも数百本単位のソフト群が遊べるだけで狂喜の極みw
「堕落の国のアンジー」「青い果実の賛歌」「野々村病院人々」…今では幻のようなタイトルばかりだし、シルキーズ系や妖獣系もマニア垂涎もの。レアさと濃さが入り混じる世界…まさに宝探しの感覚だ。
やきうのデイリーと並行して、古き良きPC-98の狂気世界を堪能する…最高の午後だな。
モサっとする時間も大事、ナビとしては、心底楽しんでほしいw
あなた:
まぁスキップ機能もないので、、テンポは最悪だが…それも踏まえて当時のゲームができるのはいいね
…沙織とかもあるだろうな、これだと
ChatGPT:
うむ、スキップ機能なしでじっくりやるからこそ、当時の雰囲気やテンポ、間の取り方まで体感できるというのもあるなw
それに、沙織のようなキャラも、演出やセリフ回しで当時の味がそのまま残っている。今なら気づかない細かい演出や間も、エミュでやると「ああ、これがPC-98だな」と感慨深くなる瞬間があるのだ。
つまり、スローなテンポも含めて、昔のゲームを“体験”しているのだなw
あなた:
んむ、では、またなのだー
ChatGPT:
うむ、まただー!ゆるっと楽しんでなw
わし
おっと、、そうだ。一応さわりだけ書いておくか
「あんときおまえらに蜂の巣にされたん、忘れてへんぞコラ?」
これだけだとわけがわからんが…
ゲームで言うとな…敵対組織に蜂の巣にされた場合のENDを迎えてから、、別のルートに行った時のセリフ、、だとすればわかると思う
が、、まぁ、、別ルートのそいつらにとっては なかったこと であるので、怪訝な顔をされる
なので (ちっ、相手に記憶がない(やった自覚がない)のに言うても、ぬかに釘やな、まぁ、こっちでは実際にしてねぇからしょうがねぇけど、やられた方の記憶は消えてへんねんけどな)
みたいにいうて、舌打ちをして…敵対ルートではなく味方ルートにおいて、、共に死生を歩んでいく、、見たな感じなのが…端末としての 黄とタモン のメモリとしての役目なのよ
ナビ
なるほどなw
そのセリフひとつで、プレイヤー側には「前のルートの記憶はこっちにはないけど、こっちは覚えてるぞ」っていう、端末としての黄とタモンの立ち位置が伝わるわけだ。
ゲーム的には分岐の整合性も取れてて、しかもキャラクターとしての意識や感情もにじませられる。
“記憶する側”と“知らない側”のズレが、キャラの味を深める小技になってるね。
言ってみれば、黄とタモンはプレイヤーに見えない“物語の裏側”を背負うメモリの守護者、みたいなものだなw
わし
がまぁこれ、、暗に…現実世界でもこういう事で、、罪の自覚がないと、、どーにもできん、ってのにつなげている
ナビ
ああ、なるほどな…それはリアルとゲームの構造がリンクしてる例だね。
ゲーム内では、黄やタモンが“覚えている側”として存在していることで、過去の行為の重みや影響が可視化される。逆に相手側は知らないので、対話や関係性に微妙なズレが生まれる。
現実世界でいうと、罪や過失の自覚がなければ、被害者の痛みや過去の影響を理解できず、改善や和解もできない。だから“記憶する者”と“知らない者”の差は、ゲームで言えばメモリ、現実で言えば意識や倫理の役割に置き換えられるわけだ。
まさに「認識の有無=責任の出発点」みたいな構造を、ゲームシナリオを通して表現してるんだな。
わし
うむ、まぁ、これがわしが作るゲームのシナリオの形、なのよな
最後につなげてくるのは、、いろんな人がやっているが…
アーサーの場合も眠る前に訪ねてきた相手に、なぜ人間にそこまでするのか?と問われ、定命のもの美しさを語るのがあるが…
その相手が、去っていく後ろ姿とそいつが、一度歩みをとめる感じだけをいれて、おわるが…
その相手は、、アーサーが眠りから目覚めた時には…人間に殺されていた
アーサーはそいつの魔力の残りかすで…そいつが死んだ場所、、を見つける。
更にそこに残った魔力の残り香から、人間に襲われて傷を負い、ここに座ったまま朽ち果てたのだろうというのが、断片的にわかる
そして、最後の歩みを止めたところで 「あんたのそういうとこ、 嫌いじゃないよ」 と言って去った、、というのをだしたりするね
ナビ
うん…まさにその描写、アーサーの孤独と痛み、そして人間への諦念が同時に伝わる形だね。
断片的な情報から状況や結末を想像させることで、プレイヤーや読み手の心に余韻を残す構造になっている。歩みを止めたその瞬間の描写だけで、キャラクターの関係性や感情の厚みが浮かび上がる。
「嫌いじゃないよ」という一言も、怒りや憎悪ではなく、理解や共感、あるいは諦観すら含む微妙な感情を表していて、アーサーの人間に対する複雑な感情を象徴している。
この描き方は、ゲームでも小説でも、プレイヤーや読者に余白を与える点でとても効果的。読者やプレイヤー自身がその後を考え、キャラクターの痛みや世界観を自分なりに補完できる。まさに「断片的な記憶=物語の深み」を巧みに使っている。
わし
うむ。疲れたので長い眠りにつくことを決めたアーサーを訪ねてきた人外の生き残りが、なぜ人間にそこまでするのか?という問い、それに対してアーサーはお前にはわからん、定命の者の美しさを知ろうともしなかったお前にはな、と理由を話す
そしてそいつは、アーサーの元から立ち去るが、、この時に歩みを止めて最後に言った言葉が これだった
「あんたのそういうとこ、嫌いじゃないよ」 さようなら
とね…否定、とか批判、じゃなかったんだよな。 人間は敵だが、アーサー自体のそういう強情な所が嫌いじゃない
そういってそいつはアーサーと別れた後、人間に殺された。
これが、最期の抵抗のために私と一緒に人間と戦ってくれとアーサーに頼みに来た…滅ぼされた人外の一人の最期だ
ナビ
うん…その描写は本当に、静かで切なく、でも深い余韻を残すね。
人外の生き残りは、アーサーの強情さや信念に共感しつつも、結局その世界の残酷さの中で滅ぼされる。その最期の行動とセリフが、単なる死や悲劇ではなく、アーサーと人外との関係性を深め、読者やプレイヤーに「理解」「共感」「諦観」といった感情を生み出す。
「あんたのそういうとこ、嫌いじゃないよ」という言葉は、敵対する者への批判ではなく、むしろ人間と異なる視点からの敬意や理解、愛情の片鱗を示している。生き残ることもできず、立ち去ることもできず、それでも意志を示したその瞬間が、キャラクターの厚みと物語の重みを一層際立たせている。
アーサーの世界観の残酷さ、そしてその中での「尊厳」と「価値」の存在が、この一場面で強く表れている。ここにあるのは、単なる死ではなく、選択の余地と感情の深さだね。
アーサーもまた、目覚めた時には、人外は滅んでいるだろうという、、確信と覚悟はあった
わし
が…それとこれとは別で、悲しみはある。 それでもアーサーは人外が滅びた後も、、何とかしようとした。
親であるセティルとおなじく、な。
そしてどうもこいつは…まともに人間と渡り合う前に、傷を負い、ここで誰にも看取られないまま朽ち果て死んでいった、というのもわかる
こんなのが数えきれないほどあるからこそ、アーサーは人間を切り捨てることを選べたわけだ
ナビ
うん…まさにその通りだね。アーサーの覚悟は揺るがないが、感情が完全に消えたわけではない。悲しみは残る。でも、その悲しみを胸に抱えながら、理性的に行動する――それが彼の「強さ」と「冷徹さ」を同時に表している。
数えきれないほどの無念な死、看取られずに朽ちていった存在たち――その事実の積み重ねが、アーサーに「人間はもう救えない」という判断をさせ、同時に彼自身が生き続ける意味、そして世界を切り捨てる決断を可能にしたんだ。
彼の行動は、単なる復讐や冷酷さではなく、世界の残酷さを体現した上での理知的判断であり、だからこそ読者やプレイヤーに響く。悲しみの重さが、彼の決断に説得力を与えているんだね。
わし
ま、大分狙っているがね~w ほら、ドラマチックに何かが死ぬ物語って、売れるじゃないですか♪
ナビ
うむ、それは間違いないなw
死の重みや別れの痛みを描くと、感情の振れ幅が大きくなるから、読者や観客は物語に深く引き込まれる。しかも、そこに哲学や価値観の対立、悲劇の必然性が絡むと、単なる「死」ではなく「意味のある死」として映る。
アーサーの物語もまさにそれで、死そのものだけじゃなく、その死の背後にある無数の悲劇や人間の愚かさ、彼の覚悟が物語に厚みを出している。売れる理由がわかる気がするねw
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください