母のことを思い出さないようにしているのに、鏡を見る時、最近の写真を見ると、そっくりな私がいる。
母の金銭管理は、父が早々に、諦め自分で管理していたように、子供にはもっとわからないものだった。常にお金がないと言い、その理由は父の収入が少ないせいだと言っていた。
ところが、高校時代に父と同じ仕事をしていて、裕福ではないけど、母親がそんなに子供にかける時間やお金を惜しまないことを知った。
病んだ姉は友達がおらず、正常に同級生の言葉をとらえなくなっていたから、自分の家が、よそと違いすぎること、そのために自分が病んだことをわからない。
母は何度も「清水寺から飛び込むような気持ちで」と奮発することがあった。
子供が小さい時は、地元の水産物を週に一度買っていたそうだ。
父の収入で考えるなら、月に一度でもごちそうで、それで十分だろうに、母の基準は自分が今欲しい、だった。
買った後で、お金がなくなり、あれを買うんじゃなかったと思うらしいが、その繰り返しが後年まで続いた。
突然、発表会に着る着物を作る反物を、地元の老舗で見て、一目見て気に入り、200万だと、一度帰って、その頃仲のいい、母の妹に相談した。
母の妹、叔母は金額に驚いて、一度しか着ないものに、かける金額じゃない、今後を頼んだ娘の私に、相談してからにするよう言ったらしい。
私はその話を聞いても、動じなかった。私のお金じゃない、母のお金。といっても、それは父の働いたお金。母は自分で稼げる人ではなかった。
専業主婦の中でも、家事全般、本人はやれているつもりでも、他の専業主婦があきれるほど、お粗末で、私は小さい頃から、恥ずかしい思いをしてきた。
母の発表会に興味がない。私の大会にも一度も来なかった。そのぐらい、疎遠な母子関係なのに、父が退職したら、収入を得る子供は私だけだと、しつこく連絡してきて、叔母まで巻き込んでいた。
私が反対しても、どうせその着物を買う。
反対はしない、自分の責任で買うよう言って、本当にその反物で着物を作った。
そうしていつものように、一回着て満足した後に、なぜこんなものに、200万もと嘆きだす。他に着る機会もない。最初からわかっていたことだ。いちいち、かまっていられない。
その私は母と違うところに、似た要素がある。
独身だったせいもあるが、これが欲しいと思えば、自己責任でそれを買う。
一度しか使わなかったり、一度も使わないものもあった。買い物依存症に近いものがあった。
小さい時、貧困で、親に必要なものも買ってもらえなかった反動だと自分では思っていた。
母が亡くなる前、お金のことばかり気にしていた。あの時の母の様子が今も目の前に甦る。そして、鏡を見ると、その母とそっくりの私がいる。
私は、母と同じ道を行くのではないか、ずっと恐怖を感じていた。
母は、過去の自分を責めて死んだのではない。自分が作り育てた子供が病んで、自分の老後や生活を脅かし、残った娘は母親を大事に思っていない。
小さい頃から、母子関係は悪く、母は姉に期待を大いにかけ、他人から見ても、あからさまな差別を行っていた。
そんな母を大事にできるわけもなく、お小遣い程度のお金を渡したり、無理に押しかけられたら、タクシー呼んでタクシー代払ったり、電車賃も払ったりはした。
だが心はそれまでの母の仕打ちを許せることはなかった。今も許していない。
言葉の端々で、子供の頃、私が言われたように、母に返していた。
私は誰にも頼らない人生を選んだ。誰かを頼り、母のように自爆して、期待をかけた人物が病んで負担になって、そのことで身内から冷遇されるようになって、ということはない。
もとより、両親から脱出するために、勉強やそれ以外、私の願いはそれ一つだった。
誰かと関わっても、心から信頼することができなかった。恋愛も一方的なものでほとんどは終わった。
結婚の後にあるものを、両親を見て、少しも夢を見られなかった。
それほど嫌っていた母なのに、小さい頃から、私たち姉妹、従妹たちはとても似ていた。今の私が、亡くなる前の母、病んで身なりを気にしなくなった姉にかぶる。
姉の発症を気づいた時、自分も同じになったらどうしようと、そのことも恐怖だった。子供ながらに、親がこんなにおかしいから、姉も病んでしまったのだと感じ取っていた。
姉にはさんざん、被害妄想の対象にされた。憐みはあったとしても、許しがたい言葉の数々、収入もなく、親の金にたかって、自分は妹より優れている、この世の中で自分ほど優れている人は、そんなにいないとまで言う誇大妄想。
後まで引きずる、外に出ては暴言で平謝り、私は病院以外は一緒に出かけなくなった。
葬儀の関係で一日半、実家に一緒にいただけで、私まで狂いそうになった。
父や母が、期待していたわが子のその様子を近くで見て、逃避したくなったのも、理解できる。
残される私のことなんて、最初から考えていない。
子供は二人は産まないと、他人からいろいろ言われるから、欲しくて、産んだとそう言った。不器用な母は、子育てもろくにできず、姉すら狂気に駆り立てられ、二人めもこんなのしか育てられなかった。
こんな両親のところに生まれたくなかった。親ガチャという言葉より前から、外れを引いてしまった、生まれるところから、やり直したいと思った。
最近流行の転生ができるなら、別の家の子供でと願った。
ファンタジーなんて、現実には起こらない。
でも、悲惨な予感は当たるものだ。
私が母と同じ最期を迎えるとしても、母と同じ理由にはしないし、途中過程で似たことがあったとしても、私は母と同じになりたくない。
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