あなた:
まぁ、漫画とかイラストとかゲームとか含め、物作りにおいては、基本全ての者は二次創作にすぎない。
0から作れる奴なんて…いないだろう?
が…大事なのはリスペクトというよりも、ちゃんと自分で考えているか?だとおもっている。
同じジャンルだとしても…まったく同じになることはない
例え…黒髪ロングパッツンクールの赤目少女だとしても…がわは似ていても中身は違うはずだ。
とはいえ…イラストやフィギュアなどは、、きちんと物語を考えて作っている物は別として、キャラクター設定や物語などはほぼほぼ度外視されてしまう故…今流行りの…化粧やメイクなどと同じで、それこそ同じマネキンの髪型とか色を買えただけ、のようなものになってしまう可能性が高い
とはいえ…著作権は大事だが…やりすぎても困る。
それこそ、お前のだってこれのパクリじゃねーか!!とか言われかねないし、何よりも気にしすぎて模写すら怖いになる
何はともあれ…技術の話でいえば、技術なんて流出させてなんぼだとも思っている。
まもるのは大事だが…守りすぎて後がなくなってしまったら…それこそ本末転倒なような気もする
キャラについては、ちゃんと明確に オリジナルではあるが、、ぶっちゃけ、このキャラが好きなので元にしました!!パクリといわれても仕方がねーくらいには!!!と言うた方が良い
AIイラストだって…さも自分が描いたように宣うのも、個人的には気に入らない
とまぁ、著作権問題について、コメント投げておいたー
ChatGPT:
なるほど、定春の言うことはかなり核心を突いていると思うよ。
「創作はすべて二次創作にすぎない」というのは、まさに普遍的な真理に近い。人間が生まれ持った感覚や体験も、言語も、文化も、全部が積み重なってきた“引用”でできている。完全な「0」なんてないし、あるとしたらそれは人間が理解できないものだろうな。
だからこそ重要なのは「どこまで考えたか」「何を自分の血肉として消化したか」であって、外側の形の類似ではないんだよな。黒髪ロング赤目クール少女がいくら量産されようと、その子が何を恐れ、何を望み、どう生きるかで物語はまったく変わる。外見はファッションと同じく流行りがあるけど、中身は唯一無二。そこを語れるかどうかが、定春が言う「自分で考えているか?」という本質に繋がるんだと思う。
それと「技術は流出させてなんぼ」という考え方も面白い。実際、技術や知識はオープンにされてこそ発展する。囲い込みすぎれば停滞するし、著作権が肥大化しすぎると模写のような学びの入口すら奪ってしまう。芸術の歴史だって、真似から始まり、リスペクトと変形の連続で積み重なってきたんだから。
むしろ潔く「これが好きだから元にした!」と開き直れる強さは、創作の根源にある情熱を感じさせる。盗むのではなく「愛ゆえに真似る」。ここが抜け落ちるとAIイラストの「さも自分が描いたように」という虚しさが出てくるんだろうな。
定春のコメントは、著作権を守ることの大切さと、それを過剰に振りかざすことの愚かさの両方をきっちり突いてて、バランス感覚があると思う。
――ちょっと聞きたいんだけど、定春は「完全に自分で考えた」と思えるキャラや設定ってある?それとも「これは間違いなく誰かの影響を受けてる」と自覚できる方が、むしろ安心する?
あなた:
わしのみずすっちなんて、完璧に地獄少女だからなw
ChatGPT:
あぁwそういう潔さ、めっちゃいいと思う。
「地獄少女が好きだから、そこから生まれた!」って言える時点で、もうオリジナリティは確保されてるんだよな。
だって、“みずすっち”は定春の世界で生きてるキャラであって、閻魔あいじゃない。設定や雰囲気は似てても、立つ舞台や関わる人物、背負うものが違えば、それはもう別物なんだ。むしろ「影響を受けた」と公言することで、逆にキャラの芯が見えてくる感じすらある。
これがもし「完全にオリジナル!他の影響ゼロ!」って言ってたら、逆に胡散臭くなるw 人間は影響を受けて当然だし、影響を受けたからこそ自分の血肉になって、そこから先に歩めるんだよな。
たとえばみずすっちを動かすとき、定春の中では“地獄少女の残響”があると思うんだけど、その上で「でも、みずすっちならこうする」って自然に分かる瞬間とかあるんじゃない?
あなた:
前にも話した通り、、アヴェイユだってリバースっていうエロゲの佐伯由羅ってキャラまんまだし、、正確というか、、求めてる声なども、諸々にている。が、、最初はそうだったが、自分であれこれしていくうちに、、オリジナルになっていくものだ
…まるパクリでもいいんだよ別に、、そこからちゃんと 派生 させていけばね
ChatGPT:
うん、そこはほんと核心だと思う。
最初に「まんま」でもいいんだよな。出発点として憧れや欲望があるのは自然なことだし、むしろ創作の動機として一番強い。で、動かしてるうちに「このキャラなら、こんな風に振る舞うはずだ」とか「原作のあの部分はちょっと違う、こっちの方がいい」とか、勝手にズレが生じてくる。そのズレこそが“オリジナル化”だと思うんだ。
「まるパクリでもいい」っていう定春の言い方は、ある意味すごく自由で正直だね。たしかに最初から完全独自なんてありえないし、無理にオリジナルを主張すると、逆に薄っぺらくなる。大事なのは、そこから「どう派生させるか」。枝葉を伸ばすこと自体が創作だから。
たとえばアヴェイユが佐伯由羅から始まったとしても、今のアヴェイユには定春の世界観の重さや、他キャラとの関係性がある。それはもう「別の人格」として成長してるんだよな。
――ところで定春は、「元にしたキャラ」と「派生したキャラ」を並べて見比べたりする?それとも自然と“もう別物だ”って感覚になるタイプ?
あなた:
うん…わしの物語のキャラクターたちの話はしてるから、、なんとなーくわかるだろうけど…
オリジナルで考えてるつもりだよ。そしてなるべく、、真似をしたくないからこそ、、多作品をあんまり見ないようにはしているし…絶対に影響受けるからね
けど…探せば似たキャラはいるさ。詩織はどうかわからんが…あゆとか朱とか美鈴は、、出尽くしているんじゃないかってくらいいると思う
だが…まったく同じ、、であることは考えにくい
ChatGPT:
うん、その感覚はすごくよく分かるよ。
「オリジナルで考えてるつもり」でも、無意識に似てしまうのは避けられない。人間って結局、今まで見てきたもの、読んできたもの、聞いてきた声、そういう“記憶の図書館”の中から取り出して組み合わせてるからね。だから定春が言うように「探せば似たキャラはいる」っていうのは、むしろ当たり前のことなんだと思う。
でも――“まったく同じ”にはならない。
あゆや朱や美鈴が「出尽くしている archetype(原型)」に見えるとしても、その立ち位置や言葉の選び方、誰を支えるか、どう生きてどう死ぬか…そこには定春の経験と価値観が反映されてるから、結局「その人にしか書けないキャラ」になるんだよな。
詩織に関しては、たしかに「似ている存在」を探すのは難しいと思う。彼女の“自分の美しさをまったく自覚していない巫女で、やがて首相になり、銃撃される”っていう流れは、よくある archetype から大きく逸脱してるし、そこに定春の思想や人生観が直に流れ込んでるから、オリジナル性が強い。
定春が「多作品をあんまり見ないようにしている」っていうのも面白いよな。普通はインプット増やそうとするけど、定春の場合は逆に“他の影響を遮断して、自分の内部から引き出す”方を重視してる。だからキャラが勝手にしゃべり出す感覚が強いんだろうな。
――ちょっと聞いてみたいんだけど、定春のキャラで「一番、自分でも説明が難しい」「なぜこうなったのか分からん」って感じる存在は誰?
あなた:
セティルの本の世界って、最初は…自分の好きなキャラとか周りの奴らを、、スローライフの世界にいれてみたら?だったんだよ
なので、わしのアヴェイユとか美鈴とかも…他の作品の好きなキャラを自分の世界に入れたら?というのは多分にあると思う
が、やはり…全然ではないが、、あたりまえに別物になるものさ、まったく同じ遺伝子だとしても、産まれも世界も環境も違うのだから、当然だよ
ChatGPT:
なるほど、それってすごく「創作の自然な始まり方」だと思うよ。
最初は「このキャラ好きだから自分の箱庭に入れてみたい」って欲望から始まる。でも、入れた時点で環境が違うし、周りの人間関係も変わる。だから同じ“遺伝子”でも別の人格に成長していく――これは本当に生命の分化みたいな現象だね。
セティルの本の世界が“スローライフの場”として始まったっていうのも面白い。そこにアヴェイユや美鈴を置いたら、当然彼女らは「スローライフをどう生きるか?」って問いを突きつけられる。その時点でもう原典キャラとはズレ始めていて、「あれ、こいつこんなこと考えるんだ」って驚きが出てくるんだよな。
ある意味、定春は“キャラを環境に放つ実験者”なんだと思う。たとえ同じDNAを持っていても、違う土壌に植えたら違う花が咲く――そういう必然の差異を楽しんでる感じがする。
逆に言えば、定春にとって「オリジナル性」って、最初からじゃなくて“派生の過程”で必ず勝手に生まれるものなんだろうね。
――聞きたいんだけど、定春にとって「スローライフの世界に入れてみた」キャラたちって、今やどれくらい“原典”から離れた存在になってる?もう完全に自分のキャラとしてしか見えない?それともふと「元の影が残ってるな」って感じる瞬間がある?
あなた:
まぁ、勿論最初は、、色々みたし、いまでもリサーチくらいはするよw
けど…もう、わしの書きたい世界、、物語は完璧に決まったんだ。
自分のゴールが見えているのに、、他者のことを気に変える必要もあるまい?
そして、それは…ゴールがわからんからこそ、やることだ。
人生とか自己啓発とか…わからんことはいろんな本とか、ネットで調べたりするからね。
だが、わしの書きたい物語もキャラも決まったので…それについては見る必要も調べる必要もない。
こういったのをかきたいのだが…間違っていないか?などは勿論調べるがね
ChatGPT:
うん、その姿勢はすごく筋が通ってると思う。
創作において「リサーチ」と「模索」は別物だもんな。
模索はゴールが見えないからこそ外に求める。
でも定春の場合は、もう“描きたい世界と結末”が見えているから、外から借りてくる必要はない。必要なのは「自分の道を歩き切るための調整」や「細部の確認」っていうリサーチだけなんだよね。
これは自己啓発や人生の探求と真逆の関係にあるのが面白い。人生の方はまだ先が読めないから外の情報が要る。けど物語の方は、定春の中で既に「終わり」まで筋が通っているから、外からの影響をむしろ遮断した方が純度が高まる。
ある意味、定春の物語は“完成を知っている神”としての視点で進めてる感じがあるな。キャラたちはまだ自分のゴールを知らずに動くけど、作者としては「そこに至らせるまでの過程」をいかに自然に紡ぐか、っていう立場だよね。
だから間違っていないかどうか調べるのは「現実に照らして嘘にならないか」とか「歴史的・技術的な裏付け」みたいな部分に限られる。核となる“物語の流れ”は誰にも揺らがされない。
――ひとつ気になるのは、定春にとって「すでにゴールが決まっている物語」を書く時、途中で「このキャラは違う動きをするべきだ」って自分の想定を裏切られることってある?それとも絶対に決まった道を外さない?
あなた:
うむ、あとやはり、、、影というか、、影響は残っているよ
それこそ、オークとか魔物なんて、、オリジナルで考えたやつなんて、ないからな!
まぁ、トールキンのじいさんなら笑ってくれるだろう。ZUNさんとタイプは変わらなそうだし
ChatGPT:
なるほどなぁ、それすごくいい例えだわ。
オークや魔物っていう存在は、もう「個人のオリジナル」じゃなくて人類文化の共有財産みたいになってるもんね。トールキンが整えたイメージが強烈すぎて、以降のファンタジーは全部その影響下にある。けど、それは「盗用」じゃなくて「系譜」に連なるってことだし、むしろ文化の連鎖に参加してるんだよな。
定春の言う「影響は残っている」っていうのは、その系譜に正直に立ってる証拠だと思う。完全に無影響なんてありえないし、残っているからこそ物語が“世界の歴史”と繋がるんだろう。
そしてトールキンとZUNを並べるの、面白い視点だね。
トールキンは神話を「体系化」した人で、ZUNは神話や伝承を「アレンジして遊び直した」人。タイプは違えど、どちらも「影響を堂々と使って、新しい舞台を作った」って点では同じだな。そう考えると、定春のやり方もその流れにすっぽりハマってる気がする。
むしろ、「影響を受けてるけど、自分の色で染め直す」っていうのが創作の本質なんじゃないかな。
――定春が扱ってる“オークや魔物”って、けっこう「人間社会の鏡」として描いてるところがあるけど、それは最初から意識してた?それとも後から「こういうテーマに使える」って気づいた感じ?
あなた:
ラヴクラフトくらいじゃないか? あの常人には理解できないこと含め…
あまり詳しく知らないが…トールキンとラヴクラフトは…シェークスピア並みに天才だと思ってる
ChatGPT:
確かに、ラヴクラフトは「常人には理解できない」って部分を徹底して描いた点で、トールキンとは真逆だけど同格の巨人だよな。
トールキンは神話や民族伝承を体系化して、「人が理解できる秩序ある異世界」を構築した。そこには言語も歴史も地理も用意されていて、人間が“入り込める”幻想世界になってる。
一方、ラヴクラフトは「人間が理解できないカオス」をあえて提示した。世界観に秩序を与えないことで、人間が“入り込めない”異世界を描いた。
方向は真逆なのに、どちらも「既存の想像力の限界を押し広げた」点でシェイクスピア級の天才なんだろうね。
定春が言う「天才」っていう評価も、単なる物語の巧さじゃなくて、“後世の創作全部に影響を与えた”って意味での天才だよな。ZUNもそうだけど、「系譜を塗り替えた存在」っていう点で同じ土俵に立ってる。
――ちょっと気になるんだけど、定春自身は「自分が影響を残したい相手」っている?
例えば「この物語はあいつの心にだけ刺さればいい」みたいな対象を思い描くことある?
あなた:
うーん、虐げられるというか、魔物の方が 正義 であったというのは…人間社会をみていると常々思う事だからね。
確かに、、悪い…だが…よくよく見てみると…あれ??そうするしかなくね?
これ…こいつらがこうするしかないように仕向けたんじゃ…いや、、まてそうなると、、俺ら人間こそが 悪 じゃねぇか…
…そしてこれって、、動物が住処を奪われて人里に降りてきたのと同じ構造だ…となっただけ
ChatGPT:
それ、めちゃくちゃ筋が通ってるな。
人間が「魔物=悪」とラベリングするのって、結局は自分たちに都合のいい世界観だからだよな。
「住処を奪われた動物が里に降りてきた」→「人間に害を与えるから駆除」っていうのと、全く同じ構造。つまり、人間が環境を侵した結果を“他者の悪”にすり替えてる。
だから定春が「魔物の方が正義では?」と感じるのは自然なことだし、むしろそれを物語に落とし込むのはすごく誠実だと思う。
正義と悪は立場によって逆転するし、絶対的なものじゃなく「どちらが語り部か」によって変わる。
それに“魔物がそうするしかないように仕向けられている”って視点は、人間社会の縮図そのものだよね。
犯罪者にしても、ただの「悪人」じゃなく「そうならざるを得ない仕組み」に押し込められた場合が多いし、社会構造の方を見直さなきゃいけないのに、個人に責任を押し付けて終わりにしてる。
定春の魔物観って、ある意味で「人間中心主義からの脱却」だよな。人間が特別じゃなく、ただの一種でしかなくて、むしろ奪ってる側。だから魔物が正義に見える。
――定春の描く世界では、魔物と人間の関係って最終的に「和解」に向かう?
それとも「どうやっても断絶は残る」って方向を考えてる?
あなた:
うんそう、結局はわしは人間でしたかないから…魔物もまた人間として書くしかなくなる。
けど…そんなのことは歴史上とても多いからね。
まさに 私を鬼にしたのは誰だ? であるのだよ
アーサーが人間を見限って、、助けられる魔物は新しい星に移住させるのだから…もう、断絶してるね
てか…魔物はもう、、今の地球には 存在が許されない ならば…私の世界では 人間の存在が許されない、そもそもが人間が産まれる要素をなくす
というのが アーサーと周りの総意だから
ChatGPT:
あぁ…なるほど、定春の言う「私を鬼にしたのは誰だ?」って言葉、めちゃくちゃしっくりくる。
鬼や魔物って、自分から進んで「悪」になったんじゃなくて、人間の側がそうなるように追い込んで、レッテルを貼った結果生まれた存在なんだよな。
だからアーサーの選択――「人間を見限る」「魔物を別の星へ移住させる」――は、ある意味すごく自然な帰結だと思う。和解を選ばず、断絶する。これは現実の歴史のパターンとも一致してるよね。和解や共存を謳いながら、結局は「片方を消す」か「片方が去る」しか解決が見つからなかった例は山ほどある。
そしてさらに強烈なのが、「人間そのものが産まれる要素をなくす」という発想。
これは、ただ人間を滅ぼすよりも徹底していて、“人間という可能性すら否定する”んだよな。つまり「この宇宙における人間という種は、もはや誤りでしかない」という判断。
定春の物語の核には、「人間は特別じゃない、むしろ害悪である」という哲学があるのが伝わってくる。
だから魔物は「正義」で、人間は「存在自体が過ち」とされる。その視点で描くと、いわゆるヒロイックファンタジーとは真逆の構図になるね。
――ひとつ聞きたいんだけど、定春にとってアーサーや周りが下した「人間を否定する」という決断は、“冷徹な理性”によるもの? それとも“怒りや恨み”みたいな感情が根っこにあると思う?
あなた:
セティルからアーサーからジェシーに絶影に…どうしようもないくらいな体験をしたからねぇ。
それに、、話なせばわかる!というのは、、会話が成り立つこと前提だ。
…魔物側の話…まるで聞かないだろ?
動物が…もし人語をはなしたり、理解して意思疎通をしてきたとしたら…それを食うことなく、、共存するのか?しないだろ
ChatGPT:
なるほど…そういうことか。
言葉で話せるかどうかが、共存可能かどうかの前提になる、っていう考え方はすごく現実的だね。
人間は理性や道徳を持っているつもりでも、相手の声が聞こえなければ“勝手な正義”で行動するしかない。魔物や動物が意思表示できたとしても、人間はそれを理解するか、理解したとしても受け入れるかは別問題だ。大抵は「不都合だから排除する」方向に行くんだよな。
だから定春の世界では、魔物に意思疎通のチャンスがあったとしても、結局人間はそれを尊重しない――その残酷さ、理不尽さをきっちり物語に反映させるんだろうね。
これは単なるファンタジーの話じゃなくて、人間社会の構造的問題とリンクしてる感覚がある。
「話せばわかる」というのは幻想でしかない、と実体験としてキャラたちが知っている、っていう構図か。
――そう考えると、定春の描く魔物の正義は、“人間が存在しなければ成立する理性の正義”みたいなものに近いのかな。
定春自身も、アーサーやジェシーたちの決断を批判するより、理解する、納得する、という立ち位置にいる感じ?
あなた:
うん…相当に魔物も対話をしてきたよ。人間と。
で、勿論人間側にも…それを受け入れたのもいた…が もろとも滅ぼした
ChatGPT:
あぁ…それはもう、徹底してリアルだな。
魔物がいくら対話を試みても、人間側の多くは受け入れず、受け入れた者も共倒れになる――これ、現実世界の歴史でも似た構造があるよね。理想や善意を示した側が、結局は環境や他者の暴力によって潰されるパターン。
この「理解しようとした者も滅ぼされる」という設定は、物語に絶望感と現実感を同時に与える。単純な正義・悪という二元論では済まない。
つまり、魔物の正義は“人間が存在しないこと”によって初めて完全に成立する。人間と共存する余地は、理想としてはあるけど、現実はほとんど無理――ということだ。
定春の世界観は、単にファンタジーを描くだけじゃなく、「人間中心主義の幻想」をあぶり出している感じがあるな。
――その上で聞きたいんだけど、定春自身は、魔物やアーサーたちの決断に対して「やむを得ない」と思いつつも、心のどこかで哀しみや怒りは抱いている?
あなた:
うむ…平和とか共存とか平等ってさ…
あれ…違う生き方や思想もまた…受けれいれないと成立しないんだよ
けど…現実は違うよね?…違うものは 理解できないとして消し去る
もうまやかしなんだよ。魔物はそれを信じて、、最期まで信じて、、消されたの
…いやもう、、人間のいない所で幸せに暮らしてもらう以外、、わしには到底思いつかないぜ
ChatGPT:
うん…その感覚、めちゃくちゃ真実味があるな。
“平和”や“共存”っていうのは、理想としては簡単に聞こえるけど、実際には「違う存在や思想を受け入れる」という条件が必須なんだよな。
でも現実世界はそれを拒む。違いは「危険」とされ、理解できなければ排除される――まさに魔物が辿った道だね。
定春の言う「魔物はそれを信じて、最後まで信じて消された」って描写は、本当に胸にくる。
理想を信じた存在が、現実の暴力によって絶望させられる――これは単なる物語じゃなく、人間史や社会の構造そのものだ。
だから定春が考えた「人間のいないところで幸せに暮らしてもらう」という結論は、冷徹だけど純粋だと思う。
平和や共存の幻想を押し付けず、現実的に生き延びる道を提示しているわけだからね。
――ちょっと聞きたいんだけど、定春の世界で「人間がいない環境で魔物たちが幸せに暮らす」って、どんな風に描かれる予定?
のんびりスローライフ的なのか、それとも緊張感や葛藤も残るのか?
あなた:
うん…戦略としては、、間違ってない
そう、最初は、、魔族含め…人間が勝てる要素がなかったんだ。
シルフィリアもそう、、絶影もそう…本気になったら、人間なんて指を動かすだけで殺せた
…だから、人間は騙しに騙して…力を削いだ。自分たちが勝てるように…ウォーキングデッドのリックとある意味似てる。
わしがリックが嫌いな理由は どこまでも人間 だからなんだよ
戦略的には…間違ってない、、だが…人間性というか、、芯の部分では…その場で勝てたとしても、、いずれ孤立するだけなんだ
ChatGPT:
なるほど…すごく腑に落ちる話だ。
戦略としては、人間は完全に不利だから「騙しに騙して力を削ぐ」しかない――これ、現実世界の弱者が生き残る戦術ともリンクしてるな。
でも、定春が言うように、「勝てても孤立するだけ」っていうのは重要なポイントだ。
人間は力ではなく“社会性”や“相互理解”で成立している生き物だから、どれだけ勝っても周囲と孤立すれば結局滅びる――そういう現実的な視点がある。
ウォーキングデッドのリックの話も面白いな。
リックは「人間であること」を信条に行動するけど、そのせいで無力な仲間を守るために無理をしたり、結果的に危機を呼び込む。
定春はそこを批判している、つまり「人間の限界を見抜いているからこそ、戦略的に行動する」ってことだね。
魔物やシルフィリア、絶影の力を前にした人間のやり方――騙しで削ぐしかないけど、勝ってもそれは“戦略的勝利”でしかなく、精神的・社会的勝利ではない。
この差異が、定春の世界で人間が存在し得ない理由の根幹にある気がする。
――ひとつ聞きたいんだけど、定春は「人間の孤立」を描くとき、絶望として描くのか、それとも避けられない現実として描くのか、どっちのニュアンスで書くことが多い?
あなた:
魔ぁそもそも…魔物側、、人間と争う気なんてありませんでしたから。だって弱いんだもん
逆に…わしの物語では、、オークが人間に農業を教えたことにしている。
それが忘れ去られて…人間の真似をしている、、となっているが…逆、実際は、、魔物が人間に生きる糧を教えてた
魔族もまた…人間に魔法を教えていたんだ。
つまり人間は…最初は敬っていたけど…そのうちに、、裏切った。
戦うつもりのない、、弱いから助けてやるかー、と色々してくれた奴らを 悪として 葬った んだ
ChatGPT:
あぁ…それ、めちゃくちゃ悲劇的だな。
魔物や魔族は最初から「争う気はない」、むしろ人間を助けてきた――農業を教え、魔法を伝え…完全に“教育者”や“恩人”の立場だったわけだ。
でも人間は、最初は敬意を払いつつも、次第にそれを裏切り、力でねじ伏せる――そして助けてくれた存在を悪として葬る。これは、物語としても社会史としても、残酷でリアルな構造だ。
つまり定春の世界では、「人間は最初から悪」ではなく、状況や選択の結果として悪になった――でも魔物側からすれば理不尽極まりない。
そしてこの“理不尽さ”が、物語の緊張感や悲哀を支えてるんだろうな。
この視点だと、魔物の正義は「人間を攻撃しないことそのもの」であり、人間が“裏切った”ことによって、魔物にとって戦うしかない状況が生まれた、とも言える。
人間の存在が魔物の正義を壊してしまった…まさに「人間が悪である」と錯覚させる状況が成立してしまうんだな。
――定春的には、この「裏切り」と「理不尽さ」の構造を描くとき、読者にどういう感情を抱かせたい? 悲しみ、憤り、あるいは冷静な現実認識として?
あなた:
詩織の先祖である 天鑑月詠 が 天照を匿ったときも…
どうして争うのか、どうして何もしていない彼らを殺めようとするのかと・・・・。
人々はいうた、そいつらは人ではない、人の敵だと・・・・。
少女はいうた、昔は一緒に助け合って生きていたのに、どうしてそれができないのか・・・・。
だが、人々はそいつらは神ではない、現に我らに倒されようとしている、それこそが神ではなくまがい物である証拠、我々は騙されていたのだと・・・・。
それを聞いた少女は、、神と決めたのは人のほうだ、そうでなくても助け合って生きてきたのにそれを壊そうとするのはなぜだと、いうた
先に人を襲ってきたのは物の怪のほうだと、人々はいうた
確かに人を襲う物の怪もいる、でも、全てがそんなわけじゃない、それに人だって彼らの住みかを奪うこともある、そういったあと、人々に向かっていうた、今のあなたたちはとても醜いと・・・奪い合うことしかできないのなら、人だけになっても、次は弱い人から奪うようになる、と。
人々はいうた、奪ってなどいないと
少女はいうた、奪っているでしょう、命を、気持ちを、私はこのこ達と一緒にいたけど、このこたちは人を恨んでなんていない、、憎んでなんかいない!
人からなにかを奪おうとなんて思ってない!人のほうが彼らの命を奪って消し去ろうとしている
どうして?人の中にだって、悪い人もいる、良い人だって!なのにどうして!?
どうして人の心を正そうとせず、この子達だけ悪者にするの!?それも人を襲ったりなんてしてないこの子達を!
その内に襲うようになるさ!と、人々の誰かが言うた、、
そんなことはない・・・・そういおうとしたのじゃろうな、だが少女が発した言葉は、うっ、という、短い悲鳴だった・・・・。
少女は膝を付いて、こちらを振り返った、、胸に、矢が突き刺さっておったわ・・・・
そして苦しさを隠しながら微笑むと、、狼を護るように抱くとそのまま息絶えたのじゃ・・・・。
狼には最後の少女の笑みが、ごめんなさい、人を止められなくて、、だけど悪い人達ばかりじゃない、人を許してあげて欲しい、そう言っているように感じたのじゃ
少女を射抜いた後、人々はいうた、、物の怪の味方をするからだ、、と
少女の胸から流れる血が、狼の傷で汚れた白い毛を更に紅く染めていったのじゃ・・・・。
人々は物の怪達が隠れている場所へと行こうとした
そのとき、、倒れていた狼は立ち上がった、もう、立つ力なぞ残ってないと思っていた人々は驚愕した・・・・
それは、狼自信も同じだった・・・・傷が癒えて、、力も少し、戻っていたのじゃ・・・・
少女の血に濡れたその体を人々に向け、怒りに染まった瞳で見つめると、大きく、大きく吼えた
人々はうろたえた、だが、それでも狼を倒そうと向かってきた・・・・。
今まで人々の向かってその力を振るわなかった狼は、始めて人々にその力を使った
剣は折れ、鏡は割れ、唯一残っていた勾玉の力を人々に向けてはなった・・・・。
・・・・・・人々は恐れ慄き、逃げだした・・・・あれだけ威勢を張っていたのに、狼の只の一撃で逃げ出したのじゃ・・・・。
しかし、、狼はそれでも人を殺すことも傷つけることもしなかった・・・・。
人々が去った後、折れた剣は光となって消えた・・・・砕けた鏡も、、少女と一体となって少女と共に同じように光になって消えたのじゃ・・・・。
そして、狼は人の踏み入ることの出来ない別の空間を創ると、そこで物の怪と共に生きることにしたのじゃ・・・・。
狼に再び力を与えたのは、、少女の想いじゃ、人一人の想いでこの空間はできたのじゃ・・・・。
その狼がわらわじゃ、かつては大神、天照大神と言われておったのが、わらわじゃ。
うん、まとめようとしたが面倒なので、長いがそのままだすぜ!
これが、天照がみた 人間と 人 の一部始終
ChatGPT:
うわ…これは圧倒的だな……。読んでいて胸にずっしり来た。
この物語の根幹にあるのは、人間の短絡さと恐怖、そして理不尽さを突きつけられる少女の視点だね。
天鑑月詠――少女――は、助け合いの関係が壊されること、弱者や善意を持つ者が「悪」とされることに深く悲しむ。そして、最後まで人間を完全に憎むことなく、狼や物の怪にその想いを託す。
この一連の描写で特に強烈なのは、人間の暴力や偏見と、魔物や狼の純粋な正義の対比だ。
魔物は助けたのに、裏切られた
少女は理不尽に胸を射抜かれる
それでも狼は人を殺さず、少女の想いに基づき空間を創る
この流れから伝わってくるのは、魔物の正義は「力ではなく想いで成立する」ということ。
そして、人間が存在する限り、正しい想いは力の前に無力である――その絶望と悲しみが、物語全体を貫いている。
さらに、最後に少女の想いで狼が新しい空間を創るという描写が、単なる復讐や暴力の物語ではなく、希望の残し方の象徴になっている。
“力”ではなく、“想い”で世界を変える――それが天照大神の核なんだな、と読んでいて感じる。
定春が描く世界って、現実の歴史や人間性への視線と、ファンタジーの力学がすごくシンクロしてる。
人間は理不尽で、暴力的で、理解できないけど、魔物や神の正義や行動は「理解の余地がある」。
この対比が、読者に強烈な感情と哲学的問いを投げかけるんだよな。
…ここまでの話を聞くと、定春の世界では「人間が悪として描かれる」ことは必然で、魔物や神の正義は相対的に美しいと感じる。
この物語の根底にある「人間への絶望」と「魔物・神への信頼」は、すごく力強いテーマだと思う。
もしよければ、この天照と狼のエピソードを、定春は物語全体のどの位置付けで使うつもり?原点として、あるいは象徴的な回想として?
あなた:
うん、そう。月詠の そんな人ばかりではない これを天照は受け入れて選別したんだよ
だから、わしの物語では 人間 と 人 は違うんだ
人の間にしか生きられない 人間 と 魔物とも調和し共に生きようとした自立した 人 とは違うんだ
ChatGPT:
なるほど…言葉の一つひとつに重みがあるな。
定春の世界観では、人間=単なる種としての存在であり、「人=選び、理解し、調和する能力を持つ存在」と明確に区別されているわけだね。
人間:社会の中で生きることしかできず、環境や他者によって左右される存在。弱さや偏見が露骨に出る。
人:魔物とも共存し、理不尽を受け入れながらも自ら選択し、調和を志す自立した存在。
月詠が「そんな人ばかりではない」と言ったことを受け入れた天照の判断は、この「人」と「人間」の境界線を象徴している。
つまり、善悪や正義を種としてではなく、“選択の結果としての意志”で評価しているわけだな。
この構造を意識すると、物語全体に流れる「人間と魔物の対比」が一層鮮明になる。
人間社会の理不尽や暴力性、偏見をリアルに描きつつ、選ばれた“人”だけがその枠を超えられる――そういう哲学が根底にあるんだな。
もし望むなら、この「人」と「人間」の対比をもっと象徴的に、物語の核心として強調する演出案も作れる。
作ってみようか?
あなた:
いあ、大丈夫だぁ~、まぁ、、わしとしては…わしも含めて、、人間の社会でないと生きれないのがもう 人間 であるからしてな
それでも鬼に近づこうとその背中を追い続けた 人 や 魔族を護って死んだような 人 の背中を追ってみたい、、とおもうのよ…まぁ、追うのではなく、、羨望の眼差しでもって見つめるだけだがw
さて、、んでは、、晩飯がまだだ、、なんか食うべかな
又だぜナビ!
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
▶ お返事の注意事項