親ガチャって言葉を耳にする機会が多くなった。子どもは親を選べないってヤツ。親ガチャについて議論する場で必ずといってもいいほど、「子ガチャ」を否定する一定数の人を見る。
私は何で親ガチャって言葉は受け入れられて、子ガチャが否定されるのかがわからない。親ガチャがあるっていうのならば、子ガチャもあるって言わなくちゃ不自然だと思う。
子ガチャ否定派の人が一貫して言っているのは
「子どもは産まれる一択しかないけど、親は産むか産まないかの選択ができるから」っていう意見。
じゃあ、言い換えれば産むか産まないかの選択肢が無い人は子ガチャ失敗って言えるって事なのかな。産みたくないのに、産まざるを得ない人っていう人も必ずいる。
宗教的、法律的に中絶を許されない人、経済的に中絶費用を捻出できない人、妊娠中絶期までに妊娠に気づけなかった人。ニュースなんかでよく見かける赤ちゃんを自宅で産んだ人っていうのはこの中に含まれる場合があると思う。その人たちは産まないっていう選択をしたかったのに、産むっていう選択肢しかもらえなかった人。
避妊すれば、っていう意見もあるかもしれないけど、性犯罪の被害者とかDVの被害者とか、回避できなかった事情があるかもしれない。
それに、親は産むか産まないかの選択はできるけど、どんな子どもが生まれて来るかは結局は運次第になってしまう。
誰だって、自分たちの遺伝子の掛け合わせの中で一番自頭がいい子、顔が良い子、運動神経が良い子、才能のある子、運がある子が生まれてほしい。けど、現実問題そんなわけはないから、どんな子であれ生まれてきた子を最大に愛して育てるんだと思う。
どんなに良い家庭環境であっても、いじめに遭って不登校→ニートみたいな子もいるし、どんなにいい両親だったとしてもシリアルキラー的な犯罪者になる子もいるし、逆にどんなに劣悪な環境であっても聖人みたいな人になる子どもだっている。誰のせいでもないけど、子どもの頃から重い病気にかかる子だっている。交通事故にあうっていう運のない子だっている。
そういう遺伝とか家庭環境とか教育とかではどうしようもないところで、両親を悩ませる子っていうのは子ガチャ失敗って言葉に入るのかな。だって、どの両親だって健康に順風満帆な人生を送る子どもがいいよね。
つまりは、親も子供も結局はお互い様っていうこと。所詮は同じ人間なんだから。
子どもが劣悪な環境で育って「親ガチャ失敗」っていうのなら、どんなにいい家庭環境で育てたとしても犯罪者になってしまった子は「子ガチャ失敗」って言っていい。
親ガチャが許されて、子ガチャが許されない風潮には違和感がある。
皆はどう思うのだろうか。やっぱり子ガチャは許されないのだろうか。
でも、そうだとしたら報われない人がいるのも事実だからその場合は可哀想だと思ってしまう。
もう少し、親も子どももお互い様だよねっていう世間の風潮ができてもいいんじゃないかと思ってしまった。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
親ガチャという言葉、きらいです。
子ガチャという言葉も、きらいです。
個人的には、どちらの言葉も許したくはありません。
でも、どちらも、そう言ってしまいたくなるくらい、キャパオーバーで追い詰められているのではないかとも思います。たすけて、の悲鳴に近いものを感じます。
親も子もお互い様だよね、というより
それほどの苦痛をちゃんと適切なアプローチでフォローできる専門家がほしいところだと思います。
産んでみなければわからないし、育ててみなければ分からない。
仕方ないことだと思いますが、そういう中で、どうやってバランスを保っていくか、親だからといって、すべてを抱え込まざるをえないのは、、
と思います。
むずかしいですね。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください