私のお父さんは、長年通っていた会社を自分が起こした問題で行くのが嫌になり辞めました。
今は新しい仕事をしているけど、新しい仕事が見つかる前や新しい会社に行くようになってからも、毎週おじいちゃん、おばあちゃん家に家族で行っていました。
おじいちゃん家はすごく暖かくて安心して、落ち着きます。
おじいちゃん、おばあちゃんも私に話しかけてくれて嬉しい。
私のお父さんは表はいい人だけど裏はそうではありません。
短気ですぐ怒るし、何かと文句を言ったり、人を使います。
私はおじいちゃん家に行くのが毎週楽しみで、その事を考えると仕事も頑張れます。
でもお父さんは、皆が楽しみに思っている事に対して面倒くさいと思っているのです。
私がおじいちゃん家に行きたいと言うと、しばらく泊まってくれば?とか一人で行けばといいます。私はそういうお父さんが嫌いです。
私はおじいちゃんやおばあちゃんの顔を思い出すと悲しくて泣いてしまいます。
今はおじいちゃん家に住みたいと思っていて、メールで言った所、子供の事を考えているのは両親だという返信がありました。
おじいちゃん家はすごく安心するのに家に帰ってくると、お父さんが嫌で一緒に居たくないと思うようになります。
お父さんは本当に性格が悪くて、心が冷たくて嫌な人です。
おじいちゃん、おばあちゃんは働いていますが、何年かしたら仕事を辞めるしかないと言っていて、冗談だとは思いますが、一緒に暮らすか?と言われた事があります。
私は本当におじいちゃん家で暮らしたいと思っていますし、一人でもいいので毎週遊びに行きたいと思っています。
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ななしさん
群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす、群盲評象)とは、数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合う、というインド発祥の寓話。世界に広く広まっている。真実の多様性や誤謬に対する教訓となっているものが多い。盲人が象を語る、群盲象をなでる(群盲撫象)など、別の呼び名も多い。
さまざまな思想を背景にして改作されており、ジャイナ教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教などで教訓として使われている。ヨーロッパにも伝わっており、19世紀にはアメリカの詩人ジョン・ゴドフリー・サックスがこれを主題にした詩を作っている。
あらすじ
この話には数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場する。盲人達は、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合う。しかし触った部位により感想が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まる。しかし何らかの理由でそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する、というもの。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/群盲象を評す
本当の事は一つじゃありません
ある人を指して正反対の事をいう人がいても
どちらかが嘘とは限りません
なんの事を言っているかわかるかな?
ななしさん
おじいちゃんと暮らしたほうがいいんじゃない?
ななしさん
???
1人でも行きたいなら行ったらいいじゃないですか(^^)
なんでそんなに乗り気じゃないお父さん気にするのですか?
皆乗り気じゃないといけないんですか?
仕事してるならそれなりな年齢な気がするけども、やろうと思えば出来るんじゃないですか?
良い環境に甘えるのもたまにはいいだろうけれど、精神的に自立してほしいとも周りは思ってるのではないでしょうか?
と、貴方の小瓶をみてそう感じたのでお返事してみました。
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