私は人を信じれないんじゃなくて、信じたくないみたいです
それは誰にでもあてはまって、
人と分かりあう事なんて出来やしないんだって思って、最初から信じなければ、希望しなければ、なんてずいぶん虚しい考えになってしまいます
知ってるんです
人の嫌なとこも素敵なとこも
人と関わらずに内側に籠っていたらなにも更新されないのも分かってるんです
人間関係を嫌だ嫌だと吐き散らかしても、なんの意味もない事も分かってるんです
昔のように普通に人と接したいのです
けど、人が怖くてたまりません
この恐怖感が消えてくれません
何か気持ちを吐き出さないと
どうしようもないので、小瓶を流しました
突発的でよく分からない文章ですが、一読ありがとうございます
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ななしさん
こんにちは。
素直な小瓶だな~とおもって読みました。
私も、あなたと同じ部分が今でもあります。
そして、いい答え(着地点)も見つかっていません。
こうすればいいのであろう、という、建設的な答えは
いくらでも字に書けますが、気持ちがついていってないので、
それは、偽物なので、書きません。
(心と理屈(頭)が、一致してないので)
それでも、うっすらわかる範囲の事を書けば、
多分ですが、私もあなたも「信じる」ということの中身を
誤解してる可能性もあります。
酷なことを言えば、昔のように普通に人と接していた、とありますが、
それ自体も、当時、そのベースにある
「私にとっての「普通の信じる」」
=「他人と私、何もかもわかりあえる」
と、いう思い込みはありませんか?
(なかったら、ごめんね、私の的外れ)
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-2040.html
まいたん
ななしさん
信じたくないのなら信じなければいい。
はっきりというとそういいたくなる。
だけどもあなたは信じたくない、というよりも自分の中の葛藤が大きくて踏み切れないように思えた。
まずは自分の中の葛藤を受け入れる、そこからじゃないだろうか?
ななしさん
私も、人がこわいです
その私にも年上の彼氏が出来て
その彼氏のことはいつの間にか信じていました
人のことなんて信じられないと思っていた私がです
それに気づいた時は本当にびっくりしました
昔に戻れた気がして、嬉しかった
きっと、人がこわい人に必要なのは、人を見る力がある人だと思います
本当に人を見る力がある人は、人がこわいという気持ちに気づいてくれます
だから、少しでもいいから人に触れてください
そうしているうちに信じられる人が1人でも出来るはずだから
もし何か酷い事をされたら逃げてもいいんです
私も実際逃げて生きてきましたから!
あなたがいつか、素敵な人と出会えますように
mam.
ななしさん
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