夢を失った。
自業自得とか、誰かのせい、とかではなく、どうしようもないことで。
ちょっと前まで海外に住んでた。
そこではインターナショナルスクール(以後略してインターと書きます)に通ってて、今年の7月にそのインターの中等部を卒業した。
冒頭に書いた私の「夢」というものは正しくインターでのことだった。
本当なら、今年の9月からはインターの高等部に進学して、そこで2年間勉強して卒業するのが夢だったの。
でも、それは今年の1月に知った、父親の会社からの帰国命令的なもので呆気なく消え去ってしまった。
海外に行ったのは、今から約3年前のこと。
当然その時に、「上からの命令で突然『日本に帰れ』と言われることはある」と両親から教えられてはいた。それはこちら側がどうこうできるものではなく、従うしかないことも知っていた。
でも、知っていただけで、どうやら理解はしていなかったようで。
帰国が決まったと伝えられた日のことは日付まで覚えている。平気な顔して適当な返事を返して、自室のドアを閉めた途端に涙が溢れて止まらなかった。
たぶん、あまりにも多くのことをその夢に賭けすぎたんだと思う。
どこのインターもそういうものなのか、レポートやらエッセイやらポートフォリオやらの提出課題が本当に多くて。日本にいた時は英語のテストで100点中20点を叩き出すぐらい英語ができなくて、通い始めた2年前は泣きながら課題をこなしたのも記憶に新しい。(最初の一年は日本人学校に通い、その後2年間はインターに通っていました。)
それでも「変わりたい」と思って海外に来て、わからないなりに必死に努力して、なんとか理解できるようになってきて。
どれだけ文章を書いても低かった課題の成績が、月日を経るごとに上がってきて、課題に熱を注げば注ぐほど数字になって自分の努力が見えるのが本当に嬉しかった。
それをいいことに、学校から帰ってきてからずーっと、明け方まで課題をやって、睡眠時間を数時間とってまた学校に行く、みたいな生活を何日も連続で続けたりした。
辛くなかったわけじゃないしめちゃくちゃ大変だったけど、睡眠を犠牲にしていい成績が取れるなら喜んで睡眠時間を削った。
そこまでして成績に拘るのは、今まで散々周りから優等生だと思われていたのに中身はただの落ちこぼれであるというコンプレックスと、その夢を叶えるため。
インターの高等部に進学するには一定の成績が必要で、だいたい理解できるようになったとは言えど、理科とか数学とかで使われるような専門的な単語までは知らない私がテストの点数を取るのはなかなか厳しくて、テストでいい点を取る代わりに課題で成績を伸ばす必要があった。
去年の9月からは中等部の最終学年だったから当然課題も多くて、その全部でいい成績を取るなら、周りに比べたら出来損ないの私が犠牲にするものが多くなるのはいわば必然だった。
日本にいた時はあんなに好きだったゲームは一才触らなくなって、趣味に絵を描くのも滅多にしなくなって、23時には寝ないと翌日駄目になるくらい長く寝てたのを3時に寝て6時半に起きる生活にして、毎日のように見てた好きなYouTuberの動画も平日にはほとんど見なくなった。
結構いろんなものを犠牲にしたと思う。あの時に捨てられる全部を捨てて、自分の全てをその夢に賭けてた。
馬鹿みたいな生活してれば身体も心も壊すのは当然で、それでも賭けることをやめなかった。
いい成績が取れて、最終的に進学できるならなんだってよかった。それくらい夢に執着してた。
1月に帰国が決まれば、高校の編入試験を受けるために日本の勉強もしなくちゃいけなくなった。少なくともまるっと一年分は学んでいなくて、それを半年ぐらいで詰め込まなきゃいけなかった。
もっとしんどいのはこれからで、学校の課題も同時にこなしてそれなりの成績を残す必要があった。
いっそインターのことなんて全て捨ててしまえれば楽だったのかもしれないけど、少なくとも父親はそれを許さなかったし、何より今まで頑張ってきた分蔑ろにすることもできなかった。
高校が決まれば当然インターの高等部に進学することも叶わなくて、でもどうしたら全てを賭けた夢を諦めきれるだろうか。
結局インターの課題も多少手は抜きつつクオリティを保つことに躍起になった。ただでさえ遅かった就寝時間は5時半にまで押し倒して、もう諦めるしかない夢に縋りつくみたいに泣きながら課題をやってた。なんのためにこんなことしてるんだろうなぁって思った。
それでも編入試験の勉強をしなきゃいけないからインターの成績は落ちていくばっかりで、いくら赤点ではなかったとしてもそれが辛かった。その頃には既に課題の点数が私自身の評価であると自認していたから、課題の点数が落ちることは私が以前に比べて駄目な人間になったと言われているも同然だったから。
一応編入試験には合格したし、日本にも帰ってきているけれど、それでも未だに夢を諦めきれなかった。
インターの中等部を卒業、そして転出する時に知ったのは、私の成績であれば十分に進学できたこと、英語のクラスも一個上に行けたこと。皮肉かな。
あんなに全てを賭けて、夢を叶える資格さえ掴み取ったのに、機会は奪われてしまった。
親に文句を言えば、今頃は来たる高校生活に思いを馳せるだけでよかったか。
できないな、何度謝られたかも覚えてない程には謝られたのに、どうしたら文句なんて言える。そもそも帰国は親が決めたことではないのに。
もうどうしようもないのに夢に縋る私は惨めだな。往生際が悪すぎる。
あれだけ賭けたのに。
結果的に成績だけで言えば進学できたのに。
全部失ったようにも思えるよ。当然そんなことはないんだけれど、そう思わせてほしい。
私の人生返せよって泣けたらよかった。
親も友達も日本に帰ってきたこと、憧れてた高校生活が送れることになんやかんや嬉しそうにするけど、私は何も嬉しくないよ。
誰にもそんなこと言ったことないし、泣いたことだってないから知る由もないだろうけど。
毎晩布団の中で泣いてるよって、声を押し殺して一人で耐えてんだぞって言ってやれたら楽だったかな。
進学させろって、私の人生全部返せよって。
身体も心も壊したけど、結局今となっては意味なかったねって思う。夢を叶えるという点では。
でもね、これはどうしようもないから。
だれを責めたってもう夢は叶わないし、これは努力したって泣いたってもう一生叶わない。
一生後悔して、一生引き摺って生きていくしかないね。
強いていうなら、全てを賭けた私は馬鹿だったなって、悲しいけどそうやって過去の自分を罵倒するしかできない。
誰でも、自分でもいいから責めてないと正気じゃいられない。
失ったものはあまりにも多くて、大きかった。
無駄ではないけれどね、それでも私は夢を叶えたかったんだよ。
夢さえ叶えられるなら、なんだってよかったんだよ。
届かない夢じゃなかったから、届かなくなった今が余計苦しいね。
一体いつになったら私はそれと決別できるかな。
いや、したくないかもな。
一時でも私の全てだった以上、一生私の中にあってほしい。
たとえ、それが真っ黒で、自分を傷付けるものでしかなかったとしても。
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