推しが大好きです。
推しはジャンルでいうとアーティストの部類に入るのかなと思います。
元気がなくてもその人の歌声を聴けば、その時は苦しい気持ちも忘れることができます。
歌声を聴いて、気持ちが溢れて泣いてしまうことも何度もありました。
それ以外でも表現の技術におどろいて興奮したり、ワクワクしたりいろんな感情を推しの歌声で感じることができます。
たまにFAを描いたり、カラオケでその人の曲を歌ったりして私の日常にはなくてはならない存在です。本当に知ることができて幸せだなと思います。
こんなふうにまだまだ話そうと思えば話すことができるくらい好きなのですが、たまに目をつぶって歌を聴いていると「この曲のことを好きな自分に酔っているのではないか。それを推しが大好きだと錯覚しているのではないか」という不安に駆られます。
それに、こんな何も無い自分がこんな凄い人のことを好きだと言ってること自体、気持ち悪いことなのではないかという気持ちになる瞬間もあります。
そんなことを気にせずに、「好き」は「好き」だけでいいということもなんとなく分かっています。そこに理由付けも必要ないという考えもあります。
こんなことを頭の中でぐるぐる考えてしまうことがあって、純粋に歌を楽しめないのが辛くて苦しいです。
なんとかこの気持ちをなくせなくても、折り合いをつけていければ…とは考えているのですが、なかなか難しいです。
長文ですみません。
対処法を知りたいという気持ちより、誰かにそのままの感情を聞いてほしいという気持ちが強くてこちらに流してしまいました。
もし、読んでいただいた方がいましたら、ありがとうございます。
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ななしさん
「推しの事を好きな自分に酔ってる」、これがいいんですよ!
基本的に、好きなものがあるって人は、みなこの状況なんです。
なんなら世界中の好きって気持ちは、全部自己満足なんですから。
犬が好きヘビが好きゾンビが好き。
色々ありますよね。人によって全然違う。それはみんな自分で自己満足してるだけだからです。自分でコレが好き!って自分で決めて、それに関わって満足する、この行為が大事なんです。
だから推すほどに好きな人やモノがあるのは、自己肯定の行為でもあると思います。
ちな、恋人の好きも同じです。基本は自己満足のぶつかり合いです。そこに、あれもしかしたら相手も自分の事好きなの…?という所に信用が生まれて、信用がお互いに生まれた所で契約を交わして家族になります。でも基本にはやっぱり自分がこの人を好きだからいーのだ!という自己満足、これが愛だと思います。
みんな自分がコレを好きになりたいと自分で決めて行動しているけど、普通の人は無意識にそれをするので、ただ好き!って思うだけで、気づく人はあまりいないだけです。あなたはその辺の自分に気づいたという事は、自分の感情を冷静に判断できる人なのかも知れません。
そして自分を冷静に判断できるのは長所だと思いますよ。
興味があるなら心理学系のコラムとか読んでみると面白いと思います。自分の気持ちを冷静に考える人は、お悩みを解決するには、そういう方法が合うと思います。
でも推しがいると、人生ハッピーですよね!楽しい事がいい事ですよ!よき推し活ライフを!
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