小学生のとき男子児童5人から体型や人格を全否定するいじめを日常的に受け、さらに教務主任や学年主任から壮絶なパワハラを受けました。中学1年生のとき、ブラックな部活の上下関係に疲弊し、鬱状態になりました。私は素直で努力家な子どもだったので、「自分」を見失いそうなときはひたすらに「見返す」ことだけに集中しました。何度も死にたくなりました。そんな中で成績は学年トップを保ち、入ったばかりの塾の全国テストで一位を取り、作文・書道・絵画・自由研究のコンテストの賞状などはコンプリートし、見下されていた部内では部長までのし上がり、委員会や実行委員会の長を務め上げました。それでも、目立ちすぎる私をよく思わない先生たちのせいで嫌な思いもたくさんしました。受験勉強では、入手できる過去問はトップレベルの私立校含め、手当たり次第に解き満点を叩き出していました。色々な私立で特待で合格しましたが、県内トップの女子校に進学を決めました。卒業式の日、なんと、自分を虐めていた男子生徒たちが私と写真を撮りたがりました。その瞬間、心のどこかに発生したモヤモヤを塗り替えるくらいの爽快感がありました。高校に進学して、初めのテストで自分の中では不得意な方の英語で満点を叩き出し、「頭のいい人」として認識されてしまいました。県内トップの高校でも私は最上位の存在なのだ、と思いました。では、その期待に私は応え続けねばなりません。課題は誰よりも丁寧に、とにかく多くこなしている自信がありました。どの授業も休日を使って1週間分のシュミレーションを行い、一人で授業ができるレベルに仕上げていました。どの場面で自分がどんな発言をすれば、その授業をコントロールし、常に自分がトップであることを証明し続けることができるかを考えていました。「頭の良い人」は勉強に関する質問をされることが多いのですが、答えられないということはすなわち「頭の良い人」からの転落を意味します。自分がわからないものはとことん調べ、どんな質問をされても完璧に答えられる準備をしていました。学校は「戦場」でした。表では朗らかにクラスメートと笑いながら、裏では常にひどく緊張をしていました。小中学で私は完全に人間不信になっていたので、高校では心を許せる友人は作れませんでした。私は誰かの期待を裏切るということに異様に怖がっていました。先生などからの頼みを断れたことはありません。生徒会に立候補することを提案されたとき、その場で承諾しました。当然、当選しました。私はスピーチも得意だったからです。将来は日本初の総理大臣だと、社会科の先生たちまでそんなことを言いました。私は、どういうことを相手が言って欲しいのか、何が求められているのか、何をすれば目立てるのか、全て知っていました。私は、他人の顔と名前を覚えることができませんが、逆に相手が私を忘れていることはこれまで一回もありませんでした。人混みで50m以上離れていても、私をひと目で見つけられるほどに存在感があるそうです。私は最初から器用に何でもできますが、勉強に関して発揮する記憶力は群を抜けていたし、その才能に甘えない膨大な努力をできる人間でした。教科書は一回読んで全て内容を暗記できます。ですが何度も何度も読み返すので頭の中で完全に再現できるようになっていました。また、そこまでしないと安心できませんでした。私はキャパシティのある人間です。高校時代に何本も論文を書きました。勿体無いからと、出した論文賞で上位入賞することがよくありました。1年続けた研究は全国で入賞しました。ビジコンも全国入賞していました。アメリカへの海外研修で研究を発表したり、スタンフォード大学の教授と議論したりしました。その研修仲間の一人が、今も私の恋人です。書道にも熱中しました。生徒会で会計を担当したのですが、赤字だった財政を3ヶ月で立て直す手腕で周囲から絶大な信頼を得ていました。いつしか、高校時代のあだ名が「神」になっていました。廊下を歩くと人がさっと道を開け、私の噂話をしていました。私のことを知らない人がいないくらい有名になっていました。とても面白いのですが、校長から用務員のおじさんにまで睡眠時間の心配をされていました。私はある程度物事に挑戦する前に「何をすれば成功するか」が直感的にわかるので、私は死ぬ気で努力してもできなかったという挫折経験はなく、本当に辛い目に遭っても見返すことができないというような完全敗北の経験がありません。私は、高校時代を3年間理系で過ごしました。大学は文系学部に進みたいと思ったので、高校時代は理系科目を勉強しておこうと思ったからです。受験勉強は自分だったら何とかなるだろうとしか思っていませんでした。実際、何とかなってしまい、誰に相談することもなく、東京大学というところの文系の学部に推薦で合格を決めました。文系の共通テスト会場に突如現れた私を見て、周囲が驚愕しているのがわかりました。「いつ日本史とか勉強していたの?」と聞かれますが、共通テストに関して言えば、当日の朝に過去問をざっと流し読みしただけです。答えすら見ていません。でも確か9割以上は取れていたかなと思います。理系クラスで数学やら物理やらを毎日やっていたといえども、私の元々の得意科目は、国語や社会科目でしたからね。実力テストや定期テストで、理系クラスの私が学年全体で国語一位を取ってしまうので、「文系クラスに来てほしい」と教師に勧誘を受けるほどでした。代わりに授業をしてほしいと担任に頼まれたこともあります。ちなみに、高校三年生は「トップの呪縛」から自分を解放させることができ、コロナで休校になった数ヶ月や夏休みはひたすらアニメを見たり、好きな本を読んで過ごしていました。高校最後の一年間で机に向かって勉強したのは、おそらく数えるほどです。あ、、自分でも書いてて嘘っぽいなと思ってしまいますが、脚色は一切していません。あまり文章に自分のことを書いたことがないので、前後関係などの若干の省略で唐突な展開になってしまっているかもしれませんがご了承ください。さて、東大に晴れて入学した私です。高校時代にやっていた活動の関連、そして特定の社会問題に対する強い怒りと疑問の解消のために、本格的に行動を開始しました。ここで、なぜ私が社会問題に関心を持つかの理由を簡単に説明しておきます。私は生まれてすぐ心臓の大きな手術をし、失敗し、死に直面しました。そこから持ち直し、今東大に通うまで健康に育ったのは自分の力でしょうか。もちろんそれも大きいですが、恵まれた環境と優しい両親の存在を忘れてはなりません。私は、「自分が恵まれているのだ」ということへの罪悪感がどうしても拭えませんでした。そして、世界に対する不安と怒り。生きているだけで、消費行動をするだけで、資本主義の歯車に乗り続けているという今この自分が、世界のどこかの人々を苦しめている。地球が悲鳴を上げている。今アフリカで血を流して死んでいるこどもは、もしかすると、自分が買ったスマホに使われる鉱物を、劣悪な環境の中、少ない賃金だけで手で掘り起こす仕事をしているかもしれない。今、夫と子どもの前で泣いている女の人は、もしかすると子どもたちが掘り起こした鉱物資源で利益を得た武装勢力によってレイプをされているのかもしれない。また戦争が、大量虐殺が、環境破壊が起こった。歴史上、争いが絶えたことなんてないのに、何を平和づらしているのだろう。それで私腹を肥しているのは何も政治家だけでも軍事産業従事者だけでもなく、私たち日本に住む何の変哲もない人々もなのに。私は、UNHCR、UNICEF、UNFPA、さまざまなNPO、国際協力団体、個人活動家、自治体と一緒に活動をしています。現在、大学2年生19歳です。私は人が嫌いです。人と関わることは傷つけられること、血を流すことです。でも私は、自分の罪悪感と、底知れない不安を払拭するために今日も仕事をしています。