私は小学3年生のどこにでもいるような子(現在、中学生)。だと思っていた。少し遡り、小学2年生の私は母に対してすごく反抗的だった。父は、私が小学1年生になる少し前に母と離婚していた。そして、私にはひとつ上の兄がいる。3人で暮らしていた。普通?の家庭だった。
それで、小2の私は、少し母が心配だった。病院によく通っていた。あまり深くは考えなかった。その当時は、母が好きじゃなかったから。
そして、私は3年生になり私と兄は少しの間児童施設に行くことになった。母が入院することになったのだ。私は、内心ワクワクしていた。お泊り会みたいだなと思っていたからだ。今考えるとなんて最低なんだと思ってしまう。その後、少しと言っていたのにまだ児童施設にいることになり、とうとう悲しくて、辛くなってきた。母といる時の事を思い出すとすぐに涙が出る。あんなに楽しみだったのにすぐに家に帰りたいと思った。毎晩毎晩泣いた。母の事を忘れたときなんかなかった。どれだけ楽しくても、そして、どれだけ慰められても母の代わりなんか誰もいない。当然、兄は男子寮にいるため話すことも出来ない。しばらくして、母のもとに帰れた。泣けた。嬉しすぎて。言葉にならない。それから一週間も経たないうちにまただ。児童施設に行くことになった。その時、絶望した。あの悲しい夜をあと何回過ごすのだろうと。その後、母の元に帰っては、すぐに児童施設に行く。でも最近は、毎日と言っていい程面会している。私は母の顔を見るだけで癒やされた。思わず笑顔になれた。もうだいぶ寒くなっていた。もう少しで12月だ。いつものように母に会いに行った。母のいる部屋はいつもと違った。母の病室には機会がたくさんあった。しかも一人部屋。前は、四人部屋だったのに。母はいつも私に話しかけてくれたり、お菓子をくれたりしていた。けど、今日は何もしてくれない。何かは言っている。けど何かは分からない。涙が溢れる。そして、家ではない所へ帰る。今日から12月。いつものように学校へ行く。そうすると、「今すぐ帰ってね。」と先生から言われる。先生はどこか悲しい笑顔だった。病院に車で向かった。いつもは安全運転だった児童施設の人は事故するんじゃないかって思うくらいスピードを出している。母の病院に着き、何故か急いで母の病室へ行く。母の周りには数人の人たちが。病院の先生が聴診器で母の心臓の音を聴いていた。すると、母の隣りにある機械の数字が0になった。先生や児童施設の先生が手を合わせた。私はこの時全部理解した。母は、死んだんだ。50歳という若さで。しかも大腸がんという私の知らない病気。私は、嗚咽を漏らしながら泣いた。何故近くにいたのに、母が苦しんでいるのに私は気付けなかったんだろうと後悔するばかり。嫌いなら、好きじゃないなら、後悔なんてしない。そうだ。私は母が好きなんだ。大好きなんだ。
誰よりも。何よりも。忘れたことなんてない。誰が何を言おうと、自慢の母だ。ーーーそれから葬式なども終わり、離婚していた父と、父と再婚していた、いわゆる私の新しい母が私と兄を引き取ってくれた。後に母と住んでいた家に片付けをしにいった。母と暮らしていたときのまま。この家に何日ぶりに帰ってきたか。それでもうこの家とはお別れか…。そんな事を考えながら涙が私の頬に流れる。最近の私は泣いてばっかりだなと、度々思う。その後も、遊園地や水族館、動物園など様々な楽しい場所へ連れて行ってくれた。すごく楽しかった。けど、
やっぱり母の事を思い出してしまう。ありがとう。そして、やっぱり大好き。これからも母の子供として立派に生きていきたい。母の分まで精一杯に。頑張るから見守っていてほしい。何度ありがとうと言っても足りない。何度大好きって言っても足りない。それぐらい母が好き。
ーーーこの文は本来もう少し短くするつもりだったんですが、長くなってしまいました。すみません。そして、最後まで読んでくださりありがとうございました。泣けた方や共感出来た方は、是非お返事お願いします。お返事くると私の気持ちをわかってくれた気がしてすごく嬉しいです。本当にありがとうございました‼