その受け応えは素晴らしいですね。
家庭での人として成長するために必要な教育がなされていますよね。
私は地元で自営業を営んでいる家庭で育ちました。
その為に地域の家庭の事情がなんとなくわかりました。
やはり、いじめをする子供には家庭に問題があると感じます。
私をいじめの標的にしていた子は、両親はいますが仕事で家に居ず、祖父母の家に預けられていました。
その祖父母も、孫だからと可愛がるわけではなかったようです。
ショッピングモールなどで見かける、怒られても親が直接くるまでやめなかったり、何処か嬉しそうだったり、わざとコケている子のように問題を起こすしか構ってもらえる手段を知りません。
同年代の子にも似たように接します。
しかし、大人とは違うので受け流したり、拒絶反応を起こします。
その拒絶反応が親から切り離された孤独に結びつくのかもしれないと私は思います。
そこで、恐怖と寂しさなど普段の感情が怒りにも似た感情で執拗に責めるようになるのではないでしょうか。
人は感情を正しく整理出来ていないので、感情を表現出来れば手段は問いません。
感情を出せて、何かしら反応してくれる受け手がいればいいのです。
そして、自分がしている行動から
「これは怒りだ」などと認識します。
そして、何処か悪いことと分かりながら、その表現する場所が限られるので止めれません。
止めれず、毎回鈍痛のような罪悪感に苦しめられるのに耐えられず「相手が悪い」にしてしまいます。
相手が悪いと誤魔化しても、いじめた事実は消えず、自分を責めて嫌いになるでしょう。
人とはそういうものです。
その話の方は、そう教えられる家庭で育ち幸運ですね。
しかし、そういった家庭の事情をもつ子供が増えているので自分の身を守ることは大切かと思います。
私も未だによく分かっていません。
「〇〇ちゃんのこと好きだったのに、そんな事されたら嫌いになるよ?」
とハッキリ言うのも一つかと思います。
嫌われることが1番怖いので、その後の話しを聞いてくれるかもしれません。
「優しい」は大人しいとは違います。
人のした過ちを許し、気づかせ、共に歩むことではないでしょうか。
現代の「優しい」は「大人しく、人に媚びろ」と言っているように感じます。
それでは、いじめの被害者も加害者もいなくならないと思います。
親世代がお金の為に、そうなっているのですから。
長文失礼しました。