自信と自意識過剰の違い(境目)について。
私は、自分に自信がありません。自己肯定感がとても低いです。今の自分に変に自信をもってしまうと、ただの自意識過剰な人間になると思ってしまうと思い、何があっても、とにかくまだまだだ、ここで満足しないんだと思い続けているうちに、自分の自信の付け方も、自信と自意識過剰の違いもよく分からなくなってきてしまいました。
また、少し話が変わってしまうのですが、自分を好きになれなければ他人を好きになることはできないという言葉をよく耳にします。お恥ずかしい話ですが、私は、この言葉の意味がよくわからなかったため、とにかく考えてみたり、本を漁ってみたりしましたが、やっぱりよく分かりません。
自分のことを好きな人というのは、自分のいいところを見つけられる人で、その能力は他者にも汎用できるということでしょうか。でも、自分のいいところを見つけられるから他者のいいところも見つけられるという所が、自分の中でうまく結びつきません。
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ななしさん
自分を好きになるのって当たり前のようで難しいですよね。すごくわかります。
自分を好きにならなければ人を好きになれない、っていうのは最近私も理解できるようになりました。自分を好きじゃない人は大抵その心の空洞を誰かの愛情で埋めようとしてると思います。誰かの愛情が欲しくてたまらない。人を好きになるのは逆です。人に愛情を与える行為。だからまずは自分で自分の穴を塞いで(自分を愛して満足して)からでないと本質的に相手に愛を与えられないということではないかなと思います。私なりの解釈なので正しいかわかりませんが参考になれば幸いです。
自己肯定が低いと人は他者の良いところが見えてもそれは羨望となり、認める(あなたはあなたでそれがとても素敵なところだ、私はそれが好きだ、良いと思う)ことができにくいということではないでしょうか。
人間ですからもちろんコレは認めるけどアレは羨ましいなとなるのは当然ですが、あまりその部分でザワザワしない人が自己肯定感があるのかもしれません。
それにそれがある人は、やりたいことをやってるので小さな嫉妬にずっとかかずらわってる時間をもたない気もします。
自己肯定感は自分がやっていること、やろうとすることをおおむね自分からオッケーが出せたり、ま、悪くない、よくやったと愛おしさを感じることかなと思います。
どんなに知識を詰めても本を読んでも、愛おしさは感じるものだから、自信と自意識過剰の違いは分からなくなるのはそうかもしれないと感じました。
と、ここまで書いて思ったんですが、それこそどっちでもいいんじゃないかな。
自意識過剰は他者が判断してくれますよ。人が離れるし、そのことで自分も居心地良くなかったらやりすぎたんだってわかるから。
大概、親からの刷り込みで、あーしなきゃだめとかこんなんじゃ不足だとか、こんなことで生きていけるの?という不満や不安をぶつけられて育つから自分にオッケーを出し辛いのだと思います。それは子供のせいじゃないのに。
(その罠から逃れられる人はとても少なく皆そうだとも思います。つまり、人は自分でいろんな人に会ったり、やったり、傷つきながら自己肯定感を獲得していく様プログラミングされている気はしてます)
ネットで幡野広志 さんと検索してください。もっと上手に説明してくれてます。
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