回帰の小瓶。
何故なのかよくわからないけれど、3年周期で体調の波がある。
中学生の頃の記憶を追っているのだと思う。
体調を崩し始めたのが6年前だから、今年はわりとひどい。
10月の1週目の金土は、毎年中学の文化祭だったので、それに関する記憶の揺り返しが酷くて最近ずっと体調を崩してまともに大学に行けていない。
3年ぶりに手首を切った。
手首をやめてから自傷の対象は二の腕に移行したはずだったのに、切った。
何なら二の腕も切ったから、範囲的には過去最大だった。広く切った分、傷は浅かった。
この歳にもなって何をやってるんだろう、と思った。
お風呂から出たら、大学の友人から連絡をもらった。
寝支度をして電話でお話しをした。
だいぶ色々なことを話したけれど(彼のおかげで特撮とプリキュアに目覚めかけた)、明け方に承認欲求の話をしたことについて整理がしたい。
眠たかったので記憶があやふやな部分はあるけれど。
「親からの承認、必要?」と聞かれた。
うん、って即答した。無いと生きていけない、って。
典型的なACだなぁ、ってげらげら笑ってくれた。
「でも、この歳になったら今以上の承認手に入らないと思うよ」って言われた。
知ってた。知ってたけれど、それを突きつけられるとやっぱりショックだった。
「(親からの承認を求めることを)捨てるしかないんじゃない?」って言われた。
それは、3年前にちょうど私が手に入れてたはずの答えで、
(宛メだと
47564、
47707、
48487、
49493通目あたり)
やっぱりそうするしかないのかなぁと思った。
けれど、承認欲求に縋ってきた私は、それがなくなったら本当に空っぽで何を指針に生きたらいいのかわからなくて、
例えば今専攻している日本文学だって、まだ私が小さい頃に父親が「お前は本が好きだからそういう仕事をするといいよ」と言ったのをそのまま引きずってきた結果だ。
(彼は「根深いなぁ」ってげらげら笑ってくれた)
そもそも本を読む行為も、親から与えられたものだ。
春先ぐらいに、母から「病気が治らないのは自分の人生を生きていないからだ」という趣旨のネット記事が送られてきて、
私の価値観をつくって、あなたのための人生を生かしておいて「自分の人生を生きろ」ってなに!?
と思ってムカついたし自分を否定されて悲しかった、ということがあった。
この間流した小瓶にも書いたけれど、
私は自分が現在こういう人生を生きてしまっている原因をずっと母(もしくは父)のせいにしたくて、
けれど「誰かのせいにするな」と昔言われたから、その責任は自分にあるのだと信じてきた。
私は私を責めることでしか救われることが出来なかった。
「自分を責めなくていいんだよ」と言われた。
2回言われた。3回だったかもしれない。
嬉しかった。
けれど素直に受け取っちゃいけないって頭の中で警鐘が鳴った。
それは、自分を責めない≒誰かのせいにする ということが、従来の自分にとって都合が悪かったからだと思った。
だから素直に受け取ってみた。嬉しかった。あったかかった。
結局私は3年前の振り出しに戻ってきた。
しかし宛メの過去の小瓶を振り返るとどうやら2年前までは順調に断愛→自愛 が上手くいっていたらしい。
なのにどうしてストップしたんだろう、と思ったら元彼の存在がそこにあった。
彼との関係で得たものはたしかにあったけれど、最終的に彼は父の形代でしかなかった。
それはやはり断愛→自愛 が出来てなかったからなのだと思う。
…まぁ終わっちまったものはしょうがねぇんだ!
私はまたコツコツと僧侶レベルをあげていくだけなのです。
自分が何を拠り所に生きるのかはやっぱりわからないけれど。
また、3年前と同じようにしばらく義務的に生きてみて、変わりたい!と思ったら飛び込んでいけるように少しずつ準備をしていこうと思います、うん。
あと私も哲学読もうかしら。
(友人はシオラン推しの哲学科)
それより積読の消化が先?(笑)
久々に長文書いた。疲れた!