ぐるぐるが少し治ってきた。
同じことの繰り返し、どうしたら苦しみから
逃れられるのか、これだと思い付いたのも束の間、
翌日には絶望が待っている。その落差が少しずつ
埋まってきた。なぜ苦しいのか。変わらない幸せ
があると思っているから。そして苦しんでいる私
には実体があると思っているから。
幸せは手に入れたと思ったら次の幸せが欲しくなる。
せっかく手に入れた幸せは死んだら全て跡形もなく
消える。私は周囲の人々との関係性がなければ存在
できない、実体がない。無常、無我、一切皆苦。
幸せも私も幻であり、現象があるのみである。
だから無気力になるのではない、現象をそのまま
見るのである。今何を思っているのか。曇りのない
目で。生活がどうなるのか。周りからどう思われる
か。そこばかり見ていては現象はあっという間に
曇って見えなくなる。一刻一刻と変わっている今
何が浮かんでくるか。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
そういう哲学的なお話し好き。「苦しんでいる私には実体があると思っているから」というのは、自分の意思や行動が周りの人間との関係によって変わり得るならそれは自分の実体ではないということ?実体がないというのは、例えば無人島に行ったら精神的な意味で自分は存在し得ないということ?一人きりになったら他者との関係性は手に入らないもの。
「幸せは死んだら全て跡形もなく消える」けれど、思い出は残された人たちの中に留まり続ける訳で、確かに死んだら自分にとっては跡形もないけれど、じゃあ今ある幸せも自分も全て幻かと言われたらそうとも言い切れないと思います(例えば自分の生前の話が誰かに語り継がれた場合とか)。視点をどこに置くかによって捉え方が変わるだけなのかもしれないけど。
色々と期待して無気力になるのではなく、起きることをただ受け止めて生きるという考え方は素敵なことだと思いました。あと、屁理屈を失礼しました。楽しかったです。
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