私はクラスに一緒に行動する友達がいます。同じ保育園、小学校、中学校でしたがまぁ、話せるくらいの仲です。
1つ似ているところは、他のクラスメイトたちより精神年齢が高いというところです。どこかクラスや学校にズレを感じています。
本題に入ります。
その子が学校を休みました。理由はわかりません。私は彼女が不登校になってしまうのではないかと怖いです。
とどのつまり彼女が来なくなって1人になるのが怖い、周りから1人だと思われるのが嫌だ、という自分のことしか考えていない思いで心配をしている気になっているのです。彼女の心配よりもそっちのが大きいです。
そんな自分に嫌気がさします。
人のことを素直に考えて心配できません。
自分が人によく見られたいがために、欲しいだろうと思う言葉や言われたら嬉しい言葉を並べます。愛想笑いします。
仮面をつけてるみたいです。
本当の自分とか自分らしさってどこにあるのでしょうか。
歳をとればわかるんですか?
大人になれば気がつくんですか?
大人になるための繭期なんでしょうかね。
自分を好きになるなんて到底無理です。
ネガティブなこんなことも相談できるだれかが欲しかった。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
その悩みを、その休んでる友達に話しては。
意外にアレッと思う位に打ち解けられると
思うよ。また素敵な友達が増えるね。
ワクワクドキドキするね。
では、即、行動と勇気、レッツゴーー!
お互いに素直に優しくね!
名前のない小瓶
自分を疑ってしまう事を自己欺瞞と呼びますが、
成長する段階や、自分の対応能力以上のことが起こったとき
ベストな選択ができない時、
分からない事がたくさん増えた時など
大人になってもある程度引き起こります。
自分の存在ですが
小さな事をかき集めるとご自身が考えているよりも
個性的だと気が付くこともあるようです。
例えば、何かのこれが好きとか、嫌いとか、これは間違っているとか、これが正しいとか、小さなそのようなものです。
例えば社会について考えてみると自分という存在を見るうえで大きな視野で見ることができます。
社会で起こった事件や、取り上げられた弱者の人たちを見て
本気でどう考えるのか。
大人になると「べつに」では
本当の意味で人格を疑われてしまいます。
偉大なことをしたような人物の方が
最後まで自分自身の信念と社会の意見に苦しんだり
否定的な結論を出したり、人間自体が悪だという人もいます。
小学生や中学生で読める「哲学のおやつ」読んでみてください。哲学というと難しそうですが大人が目を通しても納得できる内容が絵とともに簡潔に書かれています。
仕事とお金
生きると死ぬ
自分と他人
いいとわるい
ヘンとふつう
幸福と不幸
成功と失敗 など、曖昧ではなく人は考えてきたのです。
分かりやすく書かれています。
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