死にたいのではなく、消えたい。
楽しかったことも、嫌だったことも、過去に起こったありとあらゆる物事の記憶を取り払いたい。そうしたら悲しいかもしれないが忘れていくほうが懐かしむこともないから切なくもならない。
無でいたい。それが生きていく中で結果的には楽だから。
感情があるからこそ辛くも悲しくもなる。
それらを自分の中で処理していければいいがそれを得意としない自分からしたら、人と触れ合うのは恐ろしい。
感動も何も感じず、ただただ惰性で生きて過ごしていくのは本当に時間の無駄かもしれない。けれど、結果主義者からしたら無駄を省くというのは大切であり、人の温かみといったものに鈍感な方が同情も情も抱かないぶん楽になれると思われる。
人が人をまた新たに生み出すのは、人間の感情から来るもの。もし人間がロボット化して感情もわからないようなものになったのなら、冷たくともあっさり淡々としていて機能だけは一丁前なのだろう。
私は人の感情の温かさも、冷たさも分かる。
両方の人間をそれぞれ見てきたから正直なところ事実人間が好きかと問われたら素直に好きとは言えない。
時に感情が邪魔になるときがある。それは至って理論的でいたいが理論的になれそうにもない時だ。危うさが身にしみる。