心が悲鳴を上げている。確かに聞こえる。
数日前に、命を抱き締めた。心が震える経験だった。
頑張って傷付いている命ほど美しい。愛されて当然の命。
今日その命が牙を剥いた。どん底に落ちた。どうして。
こんなに愛しているのにと思っている。ああ、これが良くない。
全ての人に平等に愛を注ぐなんて、今の私にはまだ荷が重すぎた。
今は暴れている。見返りがない。犠牲を払ったのに。
久しぶりに怒りが露わになった。
でも、学んだ。条件付きの愛、エゴそのものだったと。
エゴは代償を伴う。ずっと違和感はあった。
見返りを求めるから、相手に疎まれる。単純なこと。
ただ、見返りを求める自分は、無視しない。その自分も全て分かっている。
その自分を憎んでいる自分も、全部、まるごと。
流すことができない。どうして。
怒りや憎しみを抱いている自分に囚われる。
その自分が全てだと思っている。
それを分かっている人がいるよ。その人は憎んでも怒ってもいないよ。
虐められる自分、虐める自分、傷付く自分、傷付ける自分、命を美しいと思う自分、○の自分、×の自分。
その自分が全てだと思っているけれど、ちゃんといる。
その全てを見ているもう一人の自分。
見返りを求めないことではない。
見返りを求める自分も、憎む自分も、拒絶する自分も、自堕落な自分も、無視する自分も、残酷な自分も、自信がない自分も、
つまり愛されたいと思っていること。許されたいと思っていること。
誰も分かってくれないと思っているのかもしれないけれど、全部分かってるから。
あなたが何をしようと、あなたという存在を受けとめるよ。ずっと受けとめているよ。