他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる
という言葉。
その言葉は他人を変えるための言葉なのではないか。
もしこの言葉を受けてその人が変わった場合、他人によって変えられたことになるのではないか。
他人と自分、過去と未来、変化のそもそもの定義が違うのだろうか。
変えるとは。変えられるとは。
うーむ。
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ななしさん
変えたいと思って発した言葉でも、
やはり受け取り側がどうするかだから。
きっかけは作れても、どうするかは本人次第。
ななしさん
まあその言葉をそのまま他人に言うなら、他人を変えようとしてることになるかもね。
でもその言葉を言って…言われてどうするかは、やっぱりその人自身の判断によるし。
他人にとっては他人を変える言葉であり、自分にとっては自分を変える言葉。
発する人と受ける人で変わるんじゃないですかね。
ななしさん
なるほどなぁと思う反面、
変わるきっかけをつくっている時点で
「変えられることもあるし、変えられないこともある」
となるのではと思う部分もある。
違うと思うよ。
その言葉を発しても
拾う人と、拾わない人がいる。
拾う人の中でも、
「知識」で、思考停止する人と
「行動」で、自発的に動き出す人もいる。
わたしは、義理人情恩と感謝の
弟子思考人間が長かったんですが
主さんと同じようなことを、
去年、一人の恩師に言ったところ
「僕は、僕が思うことを、言いたいから
ばらまいているだけ。
まりちゃんは、拾いたいから勝手に拾ってるだけ」
って言われて
アーーー!!でした。
意図的に人を傷つけているわけでもないんだし
自己責任なんですよ〜〜
誰かに動かしてもらいたい、
の意識が強い考えが、もし長いのだとしたら
(仮説)
他人に対しても
他人も、自分の力では立てない、
舵を切れない、
変化をする、という自発的な選択はできないと
思ってる可能性があります。
自分と他人は、一緒一緒!の
前提のことね。
依存系の人は、かなり、これを剥がすのは
きついかもだけど
生まれつき、観念持った赤ちゃんで
出てきたんじゃないから
ゆっくりやっていけば
大丈夫だと思います。
わからないまま、やってみる!
は、とても大事。
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