私は自分のことが嫌いです。
他人が苦しむくらいなら、自分が苦しんだほうがいいとずっと思っていました。
そのため、誰かが悩んでいる時や困っている時には、なるべく手を差し伸べるようにしてきました。
つたないかもしれないけれど、少しでも、誰かが辛い思いをしないように。
これ以上、誰かが傷つかないように。
私は中学3年生です。この春高校生になります。
勉強のかいもあり、無事第一志望に合格することができました。
しかし、合否発表が行われるまでの間、私は確かに誰かの不合格を願っていました。望んでいました。
もちろん、受験というものはそういうものなのだから、仕方ないといえばそれまでなのかもしれません。
それでも、そんな自分に気づいた時に、吐き気がしました。
自己犠牲の気持ちなんて、所詮は綺麗事なのですね。
偽善者ぶっている自分がより一層嫌いになりました。
考えすぎだということは分かっているつもりなのですが、考えずにはいられません。
もやもやして、ぐるぐるしています。
もしよろしければ、誰か、お返事ください。
あなたの書き記してくれた鋭い感覚、自身への考察、そのように考えられるあなたの繊細さは誰しもが持つものではありません。とても素敵なあなたの特性だと思います。あなたの感じた嫌悪は、大人になるにつれて忘れたり、無視したりしがちです。そもそも、気がつかない人さえいます。嫌悪に苛まれてもその正体に向き合えず押し流される人もいます(私のように)。偽善でもなんでも、自分の状態を冷静に分析して認めることは悪いことじゃないと思います。絵の具は三色以上色を混ぜれば最後は灰色になるといいます。長く生きていればその分、多くの感情や経験が混ぜ合わされていくんだと思います。灰色はぱっとしないかもしれないけれど、それは深みのある何かなんだと思います。それが魅力になるとも思います。悩ましいことはこれから死ぬまで生まれ続けます。あなたなりに向き合っていればあなたはそれだけ魅力的な人になれるんだと思います。このお手紙に出会えたことに感謝します。ありがとう。お互い元気にやりましょう。