ある日担任がいった
「昔教え子が黒板にこんなことをかいた
お前が
死にたい っ て
無駄にした 今日 は、
昨日 死んだ 奴 が
生きたかった
明日
なんだ
それ読んだら
あぁそうか
て共感した」
あたしはこの ことば すきくない
そもそも 死にたい て
言った人のことは
考えてない の?
無駄 に してない人 だって いるじゃ ん
つらいけど がんばった 人 の
気持ちを ふみにじんじゃ ねぇよ
本っ当に 死にたくて 死にたくて たまらない人 が
一生懸命 生きた 今日 でも あるんだよ
このことばきいて
死にたくて 死んだ人だって いるんだ
て 怒る人 も いるけど
死にたくて死んだ人 なんて いないと おもう
なんか ごちゃごちゃ←
とにかく あんまり すきではない ことば だ
こういう 意見、 本当は 言わないで心にしまって おいたほうが もめごとには ならないと おもうけど
これ、 宛てメ だし
ひとりごと だし
だから 海にながした
よんだひとが どんなきもちに なるか わかんないけど
海 に ながした
夕
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ななしさん
共感します。
10代の頃、あんまり世間を知らず幸せだったので
無条件にただ感動して聞いていた言葉です。
が、社会に出て悩みも増えて、色んな人の苦しみも、きれい事だけではないむごい現実も見てしまったら。
「死にたいほど苦しんでる人の気持ち」も無視できなくなってきました。その人は無駄にしてる訳じゃないとも思いますし。
なんというか、自分がある意味幸せな境遇なのに、小さなことにくよくよしているときは「今日を無駄にしてる」と感じて反省できるので、感動できたのかもしれません。
全ての人には当てはまらないと思います。
ななしさん
担任の先生のようにその言葉に共感する人は、
なんの努力や強い感情も持たず今日を生きたと思っている人ではないでしょうか。
その時の感情は共感というより後悔に近いような気がします。
その教え子の方も、今日を頑張っていない人を指している気がします。
とても苦しい今日によって死を望む人を浮かべる場合、あなたのように怒りを覚えるでしょう。
一言私の感想を言わせてもらうなら
私はその言葉になにも感じませんでした。
名言としてありふれた言葉だと思うからです。
ななしさん
藤くんのファンが書いたんだろうね
ななしさん
激しく共感します。
私もそう思ってました。
この言葉はけっこう有名ですが、好きか嫌いかハッキリ分かれますね。
辛いことを経験した人にしかわからないこともありますよね。
ななしさん
すごい共感できる
真
ななしさん
先生も教え子も「幸せな人」だね。
というか人の生死や生き方を無駄とは…正直信じられないと思いました。
因みに私はこの言葉嫌いな人です。
ななしさん
その言葉自体は嫌いじゃない
あ、BUMPは好きな派ですけど、そういうことではなく…。
ただ、
言葉というのは
使い時というものがあると思うのですよ
あと、使う人と。
言葉自体に善し悪しがあるわけではないのだと
良く思います。
その言葉がどういうときに発されて
そこでどういう意味をもったのか
そういう背景がわからぬまま
名言集を読んで「ええ言葉やのう」
まあ、それだって別に悪いわけじゃないんだけども
それはきっと実感を伴わない。
ただなんとなく「カッコイイ感じ」の言葉に
なんとなく反応してるだけで、
明日になったら忘れてしまうようなこと。
そんな薄っぺらい「ええ言葉やのう」はきっと
どこか他人事。
同じ言葉でも
たとえば「バカ」という言葉ひとつとったって、
場面と、人との関係性によって
反対の意味を持つことがあったり
救いにも、絶望にもなったりするように
言葉が悪いんじゃないんじゃない、と思う
小瓶主さんの感じた違和感はきっと
落書きされた言葉の重みと、安易で薄っぺらい認識のギャップ
小瓶主さんはきっと深くものを考える人で
担任の先生はわりと単純(純粋?)な人だったんだね
悪い意味ではないよ、単純だということも。
どう締めくくればいいのかわからなくなったので
これでおしまい。
7ml
ななしさん
お前が死にたいって生きた今日も、絶対に無駄じゃない
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