どうも、以前とある宛メを送ったしがない高校生のものです。
前に送った宛メの内容を見て思い出したくないので、その宛メへ返事を下さった方へまだ感謝の言葉を送っていないのですが、この場を借りてお礼させていただきます。ありがとうございました。
そして今回の内容なんですが、ちょっと色々あったので、またぽつぽつと書かせていただきます。
私は最近、また前のような辛いことがあって、それに加えてさらに色々なことがあって、かなり疲れた果ててしまいました。
ショックが重なって、以前起こった出来事も思い出されて、死ぬことを強く考えてしまいました。
私の何が悪いのかどうしてもわからないし、何をしたかもわからない。どんなに心当たりを探してもわからないし、相手に聞いても言ってくれない。
なのに周りは私を責めることしかしなくて、ある人には今の出来事とはあまりにも理不尽な責めかたをされました。
どんな出来事だったのかは書き出すと今きっとまた泣いてしまうような気がするので書きませんが、とにかくものすごく辛いことがありました。
強く死ぬことを考えたし、遺書まで書いてしまいました。
ホームで電車を待っている時、電車が来たらそこへ飛び出してひかれてしまおうかと考えていた私はすごく冷静でした。
いっそ事件に巻き込まれて死ぬことができればとも考えたりしました。
死んで色々な人に迷惑をかけたくないから、死に近い猫が姿を消して人知れずどこかで死んで行くように死にたいとも思いました。
今まで何どか死にたいと思ったことがありますが、今回が一番強い気持ちだと思う私は、大分疲れているんだと思います。
だんだん心がボロボロになる自分に恐怖して、もうどうしたらいいかわからなくなってきました。
でもどうしても怖いんです。死ぬってどんな感じなのか。初めて死ぬということについて深く考えられました。
怖いから踏ん切りがつかなくて、私は自分が根性無しだと思っているので、やっぱり正解だなと思いました。
ここまで死にたいと書き続けた自分が馬鹿馬鹿しく感じるほど、すごく死にたいと思いました。こんなに書き続けられるなんてって思います。
でも、たった今、この宛メを書くきっかけになった宛メがありました。
実はここからが本題で、もうただのメモ帳に書き直したいなと思いはじめたところですが、どうしてもこの長い文章を読んでくださる方に、ある返事が欲しいがために本題をすすめます。
この宛メを書くきっかけの宛メは、生きる決心を決めた方の宛メでした。
多分迷惑がかかるのでどんな宛メかははっきり言いませんが、
今まで逆境に逃げつづけてきたけど、今逃げてきた道を振り向いたら、他の人がどんどん正しい道を進んでいたことに気付き、こんなに差が出ているじゃないか、私もやっぱり行かなくては、今から行かなくては、こんなに差がでてしまっているじゃないか。
といった内容の宛メでした。
ただ誰かに向けた励ましの言葉ではなく、自分に言い聞かせるだけの内容が、私にはとても響きました。
その時なんとなく、ごく僅かだけど「まだ、また」と思えたんです。
どんなに逆境でも、逃げてしまったけど、人と差が出てしまっているけれど、まだ間に合うかもしれない、また行けるかもしれない。
私の今の心の中こそくすぶったままですが、この心に何回かガソリンを入れたらエンジンは動くな、と思ったんです。思いたいんです。
本当は私はとっても負けず嫌いで、熱血で、逆境に立ち向かうような、どんなに心をくだかれても輝き続けようとする登場人物が出ている漫画や本やゲームが好きで、彼らに憧れ、そうありたいと思うような人間です。
今は辛いことのせいでそんな気持ちこそ小さくなっていますが、小さくなっているだけなんです。空気を何回か入れたら必ず大きくなるんです。そうだと思いたいんです。
まだ終わってない、終わりたくないと思いたいんです。
まだショックのせいで決心こそついていないですが、「まだ、またと思いたい」という自分がいるって気付いたからこそ信じたいんです。
だから、長くてわかりずらいかもしれないこの宛メをここまで読んで下さった方、お願いします。
私にとってかなり辛い逆境ですが、「まだ」と思いたいと思います。(おかしい文章ですが、「思いたい」と「思いたい」んです。)
そんな踏ん切りがまだついていない私に活を入れてください。
それ行けと、大丈夫だと、「頑張れ」じゃなくて、「頑張れる、できる」って、私に足りないガソリンや空気を入れてください。
逆境に立ち向かい輝き続ける私の好きな漫画の登場人物のように、あの生きると決心した、輝きを取り戻した宛メの方のようになりたいです。私もまた輝きたいです。
もしもまた辛くなったらという恐怖もあるけど、その時はまたここへ来てガソリンをもらいに来ようと思います。
だから踏ん切りがつけるように、私に「まだ」とおもえる活を入れてください。お願いします。
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ななしさん
生きると言うのは辛いことだと、言うことが多い。人はそれぞれの苦しみや悩みを背負い、それを一人で受けたり、また受けきれなくて他の人に受けてもらったり、そうして生きている。自分は生きていたい、自分が生きる理由は、それだけでもいいのではないだろうか。確かに苦しくて、苦しくて、死にたいとも思うだろう。しかし、死なない限りは、あなたは生きている。自ら命を絶つということは、確かに自分の意志ですることであるが、死なない限りは、あなたは生きている。どんなに苦しくても、あなたは、死なない限りは生きている。
今の辛さや苦しみが、あなたという人間を鍛錬し磨くための試練なのだと思って、その辛さや苦しみを心に刻みつけるのがいいと思う。自分が死にたいという思いに抗い、自分がとにかく生き続けていれば、或は自分の意志で死ぬという行為をしなければ、あなたは生き続ける。苦しくて死にたいという思いに、自分(の意志)が支配されないようにするのが大事だと思う。
あなたは嘆いたかもしれない。神も仏もいないと。苦しくてそのように思った人も、沢山いると思う。そのような中で、たとえばどこかの仏に手を合わせるのも、あっていいと思う。神様仏様助けてください、そのように素直に祈ることも、あっていいと思う。自分が弱いとか、そういうことではなく、人間というのは弱いものなのだと言うことを自覚することも、あった方がよいと思う。人の一生は、あっという間に過ぎてしまう。自分では長いと思っても、そして苦しみの中では特にそう思うとしても、過ぎて、たとえば自分が還暦を迎えた時、或は古稀を迎えた時、振り返ればあっという間だったとあなたは思うと思う。
あなたが今の苦しみや辛さに耐え、生き続けることが、あなた自身のためになる。或は何かの神や仏を支えにしてもいいと思う。あなたが生きていたいと思うのならば、それがあなた自身にとって、あなたが生きる立派な理由になる。
何処かの公園とか、自然に触れることができるところに行って、自然を感じるのも、いいと思う。人間は、自然の中でしか生きていられないと思う。
神仏に祈るとして、他に祈る対象がなければ、千手観音に祈ることをすすめる。
余り役には立たなかったかもしれないが、この辺で書くのを止める。
ななしさん
思える日までゆっくりでいいから歩いてください。
ななしさん
主さんの本能のような、生きるという宣言、しかと受け止めました。
その強さはあなた自身を裏切らない。あなたはずっと自分の中に灯りをともしていけるんですね。
いつかきっと後に来る疲れた人をも照らし続ける。
それが頑張っていけるあなた自身のが持っている力なんですよ、きっと。
冬
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