私は、家族から大きな愛を注がれてる
発達障害の私を、普通に生きられるように
無力な私を保護して育てて
お金をかけて、趣味を育んで、自由に生きられるように
存在を肯定して、よしよしして
ときに怒り、ときに指導する
辛い、その愛が
私はあまりにひねくれた人だ、その愛に応える義務があるような強迫観念がある
だからできるだけ消費しない、求めない、とにかく我慢してちょっとでも家族に貢献する
とっくの昔に私は空っぽになっちゃった、私のために生きる私が死んじゃった
じゃあ今生きてるのは?誰かのために生きる私
生きる意味も理由も誰かに預けてる
親への恩返し、私にできるのはお金を返して両親の老後を支えることだけ
なんとなくすぐ死にそうな気がする私は、早く働いて私を育てるのにかかったお金を返したい、そうしないと私の生が始まらない気がする
ずっと、負債を抱えて迷惑をかけ続けてきたんだもの
優しい人や、お父さんお母さんは「気にしないで自分の人生を生きてほしい」って言ってくれるだろうけど、これが私の人生だから
あなたがたの大きな愛に報いないと、私は私を許せない
でも、理性の私はそう言ってるけど、感情の私は叫んでる
愛が足りない、寄り添ってほしいと
ついでに親は間違った、私は可哀想だ、不自由なんだって
どちらが私なのだろう
理性の私は冷たいし、恩返しが終わったらきっと死ぬぐらいしかやることがない、だって誰かのための生を引っ張ってきたのは理性だったもの
感情の私は年齢不相応にわがままだけど、自由に生きれる⋯かもしれない、ただそれが破滅を早めて、今以上の不幸に沈んでいくことも簡単に予想できる
ふわっと消えたい、という衝動がある
死にたいわけじゃない、死んだら家族に迷惑がかかるから
突然消えて、そのまま世界からフェードアウトしたい
私のことをだーれも覚えてない、知らないようになってほしい
そうなれば、私は自由、愛されることも愛に報いる必要もない
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