生きる意味が無い。
今までの25年間はなんだったのだろう?なんの意味があった?
絵を描いて、ゲームをして、食って、寝て、の繰り返し。収入なんて僅か、親が働けなくなったら生きていけないだろう。
こんな人間に生きる価値は無い。単なる穀潰しだ。死んだ方が人の為になるだろう。そう、自分は25年もかけて生きる価値のない人間になったのだ。本当に馬鹿らしい。
自分一人が居なくなったところでこの社会にはなんの問題もないし、悲しむ人間も殆どいない。友人と呼べる人間もほんの数人しかいなくなったし、その数人も徐々に疎遠になりつつある。父親はもう何年も会っていないしそもそも会いたくない。祖父はとっくに他界しているし、自分が死んで悲しむ人間など母親と祖母くらいではないだろうか。そもそもこんな穀潰しの半ニートが居なくなるなら親のためにもなるのだから、その悲しさも大したことはないだろう。
あらゆる嫌なことから逃げ続けてきた。楽な方へ楽な方へと。「一度きりの人生なのだからやりたいことをしなければ」などといった耳障りの良い言葉を言い訳にして。結局それは今が楽になるだけであって人生はどんどん苦しくなっていく選択だ。それを分かっていながら選び続けた。その結果が今の自分だ。当然の報いだろう。
ふとした時に死を考えてしまう。どこで死のうか、どうやって死のうか、いつ死のうか、そんな事ばかりだ。死ねば全てから解放される。今自分を推し潰そうとしているあらゆる苦悩から解放される。
すぐ昔のことを振り返ってしまう。
今まで何度も思ったことがある。この時代に生まれなければ幸せだったのではないかと。時代が進み、技術が進歩し、人間の生活は便利になった。だが人間は本当に幸福になったのだろうか?
ただ生きるために狩猟採集生活をしていた時代、国のためにと自分の命を戦に捧げた時代、そんな時代に生まれた方が良かったのではないかと何度も思った。
絵だって結局は苦痛ばかりだ。お金やsnsの数字の事を考えだすと楽しさなんて殆どない。ただただ辛い。何時間もかけて描いた絵の数字が大して伸びなかった時、言いようもない虚無感に襲われる。何のためにこんなことをしているのだ?何のために絵なんて描いているんだ?何故始めてしまった?自分にとって絵は最早呪いだ。
死にたいと思う度に「死ぬ前にとりあえず〜しておこう」「どうせ死ぬなら〜してから死のう」といった言い訳をして延命してきたが、その言い訳もいつまで続くか分からない。生きていけるビションも見えない。このまま適当に半ニート生活を続けられるだけ続けて、これ以上どうしようもなくなった時が終わりなのだろう。それがいつなのかは分からない。でもそう遠くないだろうとは思う。
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