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私はただ、私のことを見て欲しいだけ

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怒鳴るなというなら怒鳴らなくても分かるからまずは落ち着けと言え
結局、怒鳴ってもわからないような人間であるお前が悪いくせに、何を被害者ぶっているのか。

お前が悪い。だからお前は酷い目にあってもしょうがない。そうじゃないの。
あなたが私が話したことを全く理解しようとしないから。
どれだけ丁寧にしようとどれだけ粗暴に怒鳴り立てようと変わらない
あなたに向かって何かを喋ることはすべて、暖簾に腕押し、ぬかにくぎで、あたしはあなたの中のどこにもいないのかもしれないと絶望させたから。

なんであなたみたいなのに私は執着するんだろう、私のことを理解できない人間であればあるほど、執着して、噛みついて、酷い目に合わせてやりたくなる。
私のことを蔑ろにする人間が許せない。それは狂った私の内面世界において、私のことを殺すことと同義だから。

他人の中にしか私は存在できない。あるいはこんな強迫じみた自己記述でしか。
それしか方法がわからない。
私は空っぽだから、私の所有する私というものがわからない。
私は誰かの何かの目を通じて初めて私の目に明らかになって
それ以外は、全部、まったく、本物の私なんかじゃないのだ。

「精巧な私らしさ」を作り上げそれを演じられる分にはそんなに苦しさを感じることがなくても、その「らしさ」が崩れたとき、私の存在を軽んじる(と感じる)全ての存在が敵に見えてくる。
彼らの存在によって私の存在がすり減ってく気がする。侵食されて消える心地。やめてくれ、怖い、私を殺さないで。

世界が怖い。恐ろしい。憎い。
助けて欲しい。不安で恥ずかしい。
なのに、私は世界を求めてるのに、世界は私に振り向かない。から。
そのことがすごくグロテスクに思えて発狂したくなった。

「本物の自分なんてものはね、」「他人になにかをそうやって求めるのは間違ってる」「誰だってそんなもの」
とか、違う、本当に、ごめんだけど、そういうことじゃないんだ。

「たしからしい自分やそれに類するものがないことそもそも知覚すらできないこと」がどれだけ恐ろしいのか
その恐ろしさがそのときどきの他者の視線によって成り立つ構造からどれだけ自分が能力的に逃れ難いのか
それを知らないから、人はそんなことが言えるのだ。

私は私であって、私じゃない。
この感情も思考も感覚も、私のものじゃない。入り混じって気持ちが悪い、どれが自分の選んだものでどれがそうじゃないのか、どれがよくてどれがよくなかったのか、全然まったくわからない
ほとんどの人間はそんな状況にあっても平然と自我を保つことができるけど、あいにく私はそうじゃない。

だから、すこしでも自分のものだと感じられたものがこの世で1番大事なものだって思えて
だから、それを無視する人間は、ビョーキの私からしたら、私の自我の芽生えを潰して殺そうとしてくるのと同義で
だから、不適切でありえない勢いの怒りが押し寄せてくる。
怒りや絶望は喉から指から出力されて、後の出来事は全て私の管轄外みたいに、テレビを見てるみたいに流れていく。



という言語化。
言っとくけど、別に、私は、いつも不機嫌に任せて怒鳴るわけじゃないし、そもそもそういうことはあまりない。
どっちかっていうと、後になって回想して怒りとか恥とか不安とか絶望とか、そういうものを延々と反芻させることの方が多い。
ただ珍しくもそういう事態になるとき、いつもは理性でなんとかとどめているなにかが決壊して溢れて、それでこんな風になってしまうってことを言葉にした。

私は狂ってて、おかしくて、空虚で、なにもない。なにもない。行き場が無い。自分がわからない。どこかに逃げたいのに逃げ場もわからない。逃げ方もわからない。
ただ、そういう人間ってだけ。

最近、弁証法的行動療法実践トレーニングブックという本を買った。
あるときからなぜか全く受け付けなくなってしまったCBTよりはいいかもと思った。
けどなんだろう、違うって思う。

違うって思う。
違うって思ってても、私は楽になりたいし、楽にならなきゃとてもじゃないけどこれからの人生やってけないからやるけど、違うって思う。

きっと違うって思わなくなったときがこの苦しみの終わりなんだろうな。
けど、違う。

べつに、ヨシヨシされたいわけじゃないんだけどな。

私はただ、私のことを見て欲しいだけ。
肯定して欲しいわけじゃない。
それはどっちでもいい。
私は私のことを認識して欲しいだけ。
完璧に、なんてことは言わないから
たとえば友達に見せられる自分を見せたときに得られる理解と同等のものを、見せられない自分に対して与えてあげたい
それだけ。
自分じゃ自分が生きてるのかよく分からないから、私の存在は嘘じゃなかったって、誰かに言って欲しかった。

理解/無理解と肯定/否定は別ベクトルの話で、私は、理解さえしてくれたらいい。
私がこの世に存在してることを証明してほしい、ただそれだけ。

私は生きてるよね?
うん、って、誰か言って。

激情を書くのも演じるのもそれが溢れ出て一人歩きするのも、きっとそれだけが私に生きてる実感をありありと与えてくれるものだからで
あるいは、その表出が誰かの目に触れて、いつか、誰かが、私はここにいると、私の存在を認めてくれるんじゃないかって気がしてしまうからで。

この世界はそれ以外のことは全部おぼろげで、よく分からない。
だから私は、私の感情に執着している。

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